sexta-feira, 9 de junho de 2000

adultoABOUT A LIFE

adultoABOUT A LIFE

ドンドンドンドン、と無遠慮にドアを叩く音が聞こえて、俺は慌てて目を覚まして返事した。上半身を持ち上げてドアの方を見ると、暖簾の下からケンイチがのっそりと入ってくるのが見えた。靴を脱いで振り向いた健一と目が合った。
「今蹴った?」
俺が聞くと健一は頷いて
「わりい、手がふさがってたからさ、しかし寒いなこの部屋は」
と言って玄関と部屋の仕切りに使っている暖簾をくぐり、中に入ってきた。健一の吐く息は白かった。俺は枕もとのリモコンを手に取って暖房のスイッチを入れた。健一は部屋の中を見回している。俺もつられて目を動かした。健一の頭の上の掛け時計で目が止まり、見ると八時半だった。
前日の夜に健一から電話が来たのが十時頃で、俺は二時間ばかり本を読んでそのあとはずっとTVを見ていた。年末年始は深夜枠でも特番を打っていて、普段俺が大学に行っているゴールデンタイムに放送されている企画の総集編に捕まってしまい、TVを消して寝たのは四時過ぎだった。高速が混んでいなければ、バスは五時に高田馬場に到着することになっている。すぐに健一が祐天寺に向かえば六時前には俺の家に着く。寝入りばなに起こされるとよけいにだるいし、どうしようかなと考えているうちに眠ってしまったのだ。思ったより健一が遅かったので、四時間ほどは寝られたはずだが体はかなりだるかった。
俺は立ち上がってカーテンを開けた。まぶしい。日光は治癒の力を持っているようで肩の重みが幾分か薄らいだ。しかし、まぶしさと眠たさですぐに目を閉じたくなってきた。俺は布団に戻った。健一も横から布団に足を突っ込んで
「喫茶店に二時間ぐらいいたんやけど、暇やしすることないからこっちきた」
と言った。健一の顔は程好く日に焼けていて、頬は少し赤かった。細い垂れ目は俺と同じだ。しかし、なんかいやらしく見えると大学の同級生から言われる俺と違って、健一は人から安心されるようで、何故か女の方から寄ってくる。俺と健一は赤ん坊の頃からの幼馴染みで、かつて同じ三重県の「村」に住んでいた。俺たちは二十五才で大学に通っている。俺は東京の小さな大学で、年が明けた四月に四回生になるが、健一は京都の外語大に今年入ったばかりだ。健一は二十歳から三年間ドイツの「村」で農業をしていた。帰ってきた次の年に大検に合格して、晴れて大学生となった。親は今埼玉にいて、帰省のためこの日夜間の高速バスで東京に来た。俺は同じ日の夜に同じように高速バスで三重県に帰ることにしていて、じゃあその前に東京で昔の仲間とちょっと会うかという話になったのだ。
「久し振りやな」
布団の中から俺はいまさらだが一応の挨拶で言った。それから訊いた。
「女どうした?」
健一はちょっと照れたように俺を見た。
「女ってどの?」
「どのって、神戸に住んでるとかっていう、いつだっけかお前が、『結婚するかもしれん!』って叫んでたやつだよ」
俺は少し呆れて言った。
「ああそれは終わった」
さばさばした口調で健一は言った。
「だけどその後にまた始まった。」
「なんか卑怯だよな、お前見かけで得してるよ。俺なんか全然うんともすんとも引っかかってこないよ。」
やっかみをこめて俺は言った。
「違うんだって、俺も全然そんな気なかったんだって、だけど仕方ないじゃん、そうなっちまったら」
健一はちょっとムキになって俺の文句を遮った。
「だけどこれが大変なんだよ、まあ訊けよ」
そう言うと健一は布団の中で足をごそごそとやって座り直し、押し入れに背中をあずけて楽な姿勢をとった。長い話になりそうだなとわかった。ちょっと待てと俺は言って、あちこちが痛痒くて、重い体を起こした。
「コーヒー飲むか?」
健一は頷いた。コーヒーを飲みながら健一は彼女との出会いを話し、次いで彼女の生い立ちを語った。

健一の彼女は瀬川さんという。瀬川さんは韓国で生まれ、韓国で途中まで育ち、自我が強くなる頃に日本にやってきた。父が韓国人、母が日本人のハーフで、上に五つ年の離れたお姉さんがいる。父親は釜山で鉄骨業を営んでいる。若い頃、父は技術を磨くために日本を訪れ、母親と名古屋で知り合った。ちょうど三億円事件の頃だった。日本中が犯人探しで浮かれている時代に、金さん(父親)は母を韓国に連れ帰り、結婚してぼちぼちと商売を始めた。下請けの時代がお姉さんの生まれる頃まで続いたが、やがて韓国の高度経済成長の時流に乗って、一家は比較的裕福な暮らしが出来るようになった。ところがお姉さんは中学校を出ると日本に行ってしまった。バブルで日本が浮かれている頃だ。お姉さんのことが大好きだった瀬川さんは、小学校を卒業すると自分も日本に行きたいと言い出した。父親も母親も反対しなかった。瀬川さんは全く日本語が喋れなかったが、一人で飛行機に乗り、やがて名古屋のおばあちゃんの家で暮らし始めるようになった。

「ちょっとその辺は不思議やな、何で親は反対しないんや?」
俺はそこで話を中断させて訊いた。
「それはわからん、なんか日本に憧れとったらしい、親も日本のが良かったのかな?」
健一は自信なさそうに言った。
「まあそれはあんまり関係ないよ」

瀬川さんは名古屋のインターナショナルスクールに通って、日本で言うところの中学、高校に当たる六年間を過ごした。当然のことながら日本語に不自由しなくなり、英語も話せるようになった。大学をどうしようかと考える年になり、新聞やらTVやら大学案内の参考書を物色していたある日、「国際関係学科」というコースが京都の立命館大学に出来たことを知った。その創立の趣旨を読むと、「ボーダーレスな現在において、日本は諸外国の中で社会的に、歴史的に、また経済的にどのような立場に置かれているのか、そしてこれからの時代にどのような関係を結んでいけばいいのかを、思考していく」とあった。こいつは面白そうだな、と瀬川さんは思った。オールイングリッシュの講義がいくつかあるというのにも興味を引かれた。外国からも多数の学生を受け入れていくらしい。日本人だけの、それも明確な目的もなく入学する学生の溜まり場に行くよりも、わざわざ日本にやってきてまで勉強する学生とともに学ぶ方がずっとためになると思った。それに英語のスキルもきっと上達するだろう。もちろん、実際の状況は入学してみないとわからない。でも瀬川さんは知っていた。結局のところ自分が意志を持ってやり遂げようとすることが何にもまして大事なのだと。六年間の日本での生活で、瀬川さんはそのことを悟っていたのだ。そして見事に合格した瀬川さんは京都に引っ越して、一人暮らしを始めるようになった。
すくすくと育ち、身長が百七十センチ近くまで伸びた瀬川さんが颯爽と歩く姿は人目を引き、大学ではしょっちゅう男に声を掛けられた。売れ残りの萎びれたジャガイモみたいな顔をした助教授までが、おずおずと彼女に近寄ってきて、食事に行きませんかと言い寄ってきたこともあった。でも瀬川さんは誰とも付き合わなかった。見かけで判断しているわけでもないし、金持ちの坊ちゃんを待っていたのでもない、男を拒否していたわけでもない。単純に、自分が良いと思える男がいなかったのだ。瀬川さんは京都で二年過ごすと一旦休学して、ロサンゼルスに渡り、アメリカの高校生になって一年間過ごした。そして日本に舞い戻り、それから二年間がたち、この年が明けると卒業を迎える。卒業前の十一月に、共通の知人の家でした鍋パーティーで、健一と知り合ったのだ。

「それで、お前はその瀬川さんの彼氏としてオッケーだったって話か」
俺は聞いていてもしょうがないような気がして言った。
「いやいや違うんだって、確かに付き合うようになったんだけど、でも多分もうすぐ別れるんだ。」
健一は話を急展開させた。俺は力を込めて目をこじ開け、体を布団から起こした。  
「なんで?」
「そいつは就職がホンダに決まったんだ。そいつが言うには、新卒は全国で二百何十人、総合職で女は十人しか取ってないらしい、四月に入社してから四ヶ月研修期間があって、それから各地に飛ばされる、どこになるかはわからん。だから遠距離になるんだ」
「それで別れるってことか」
ようやく事情が飲み込めて俺は言った。
 「そういうこと」
俺はコーヒーをすすった。話しの間にコーヒーは冷たくなっていた。
 「で?」と俺は訊いた。
 「それでいいのか?」
「そこが問題なんだよなあ」
健一は両手を天井に大きく突き上げて伸びをした。
「そいつはかなり良い女なんだよ、前の女と別れてすぐ彼女がほしいなんて全然なかったんだよ、どっちかっていうと女は今ちょっと面倒くさいかもって感じだったのに、いきなり会っちゃたんだよな」
「その気持ちは俺にもわかるな」
俺は同意した。確かに、性欲に対してなんとなく拒否したい時に、突然魅力的な女が現われたことが、少ない経験だが俺にもあった。だから健一の、手にした女、それもいい女への、嬉しさと戸惑いの入り混じる気持ちはわかる気がした。しかし突然発生したその関係を、唐突に終わらせてしまうことはちょっと解せない。
 「嫌いじゃないんだよ、ていうか多分俺はそいつのことかなり好きだと思う。もしかしたらそいつぐらいいい女はこの先現われないんじゃないかっていうぐらいにも思う。まあいっつも女ができた時はこんなこと言ってるかもしれないけどね。でもそいつもおれのことかなり好きなんだ。それはわかる、俺まだそいつになんにもしてないんだぜ、キスぐらいはしたけど、それって珍しいだろ」
 健一は早口にそう言った。
 「でも別れちゃうんだ。」
 俺は気持ちをほぐしてやろうと思って、ちょっと冗談めかして言ってみた。健一は真面目に受け取って続けた。
 「うん、遠距離は実際難しいだろ、ガキじゃないんだからさ。続けるとしたらそいつが就職しないで京都に残るか俺が大学辞めてついていくか、だけどそんなことできるわけないじゃん。だから多分別れると思う、俺やっぱ今の状況でそいつの未来に責任取れないでしょ。こっちは大学一年だし、あいつは就職無事決まったけどそれでも二十社ぐらい受けたらしい。それをさあ、俺のために残れなんて言えないよな。」
 「うーん」
俺は小さくうなった。叱られた子どもみたいに健一はうつむいていた。
 「ちょっとだけ「村」を恨んだよ、何で二五で大学行ってんだって。もっと早くにそいつと知り合えてたらずっと一緒にいられたかもなって思ったよ。まあ全部自分の選んだ結果なんだけど。この歳で京都に来たからそいつに出会えたんだってことはわかってるんやけどな。」
 「そうやな。」
 俺は頷いた。かつて俺たちが住んでいた「村」にちょっと思いを馳せた。俺の親はまだそこに住んでいて、今夜俺は彼らに会いに行く。親とその村を思うとき、懐かしさと、嫌悪感が同時に胸のうちに湧き出て、いつも俺は戸惑う。考え続けると苦しくなる。俺は判断停止をする。そうすると「親に会う」というこれからの予定、つまり事実だけが心に残る。俺は健一の彼女の問題へ思考を戻した。
 「でもさ、本当に、遠距離は無理なんかな。俺やったらって考えたら、やっぱ正直かなり難しいとは思うけど、本当に好きだったらどうなんやろな。」
 「うーん」今度は健一がうなった。
 「結局その女も無理やって言ってるんや。だから駄目なんやろ、まあええわ」
健一はそれで話を打ち切った。俺はもう少し寝ると言って寝転がった。眼を閉じると開いているよりもまぶしい気がして、俺は目を開けて白く暗い天井を見つめた。窓枠で遮られて天井には日光が届いていない。無理して動かしたくないのだが、静かに脳味噌は動いている。どこか気になるところがあった。深刻といえば深刻だし、たわいもないといえばたわいもない健一の話だ。どこが気に入らないんだろう?やがて俺は気付いた。
 「あのさ、最後に聞いときたいんやけど、瀬川さんはなんでお前のことを好きになったんやろう?」
健一は右手にコーヒーの入ったカップを持ちながら、斜め上前方を見つめて思いに耽っていたようで、俺が訊くとゆっくり顔の向きを変えた。俺はもう一度繰り返して訊いた。健一は目に光を戻して、しばらく考えてから言った。
「多分考え方の問題なんやろうな、そいつと俺の、何かあった時の対処の仕方が、一緒ではないけど、気に入ったんじゃないか」
 「具体的に言うと?」
 俺はあとを促した。健一は左に首をかしげ、続けて首をこっている時にほぐすように何度か回して考えていた。
 「説明するのは難しいけど、例えば俺とお前は二十五だろ、大学行ったら普通の奴よりかなり年上で、俺なんかは小学校の一年と六年よりもっと離れてたりする。ほとんどの奴は俺と話してて歳がわかるといきなり‘‘,さん付けで呼び出す。そういうのあるだろ?」
 「そうやな、条件反射みたいにそうなるな」
「そう、だけど、まあそいつの場合は三つしか離れてないんだけど、初めて会って、歳のこと言っても、『健一君』なんだ。ずっと」
「なるほどね」俺は頷いた。健一の言いたいことがわかるようなわからないような気がする。
「別にさ、山本さんでも健一君でもどっちでもいいじゃん、だけど大学生で立場は一緒なんだから、礼儀とかを急に考えて山本さんって呼ばれるとなんかすっきりしないし、仮にそこまではいいとして、あからさまに卑屈になられると嫌だろ、それまで普通に話してたのに。だけどそいつはそんなこと全くなくて、それが良かったのかな」
健一はそう説明した。少しわかった気がした。
「要するに瀬川さんが自然に自分なりに判断してるのが良かったのか。それとけっこう可愛かったのと」と俺は言った。
「そうやな」と健一は同意した。だけど、と俺は続けて訊いた。
「それはお前の場合やろ、彼女はなんでお前を好きになったんだよ、そこが一番の問題、というより俺の関心」
そんなこと知ったこっちゃないと言えば済むことでもあるが、健一は眉をしかめて、ずっと来ていたジャケットを脱ぎ布団の上に乗せ、腕を組むとしばらく考えていた。その間に俺は煙草を吸った。暖房と日光で部屋の中は暖かくなってきていた。眼のしょぼつきは幾分か薄らいでいた。
「やっぱよくわからんな、でも多分、「村」にいたせいじゃないかと思うけどな。そいつは俺の考え方はちょっと変だって言うんだよ。俺らってさ、何をするにしても『本当はどうなの?』って考えるようにしつけられて育ってきたやろ。今思うと物事の本質とか、何かやりたいって思ったときの動機の本当の理由なんてさ、誰にもわからんでしょ。俺とかお前が大学行ってるのも理由は一つじゃなくていろいろある、どれが一番だとも言えないし、全部が重なりあった結果、大学でも行くかってなった、だろ?」
そのとおりだと俺は頷いた。健一は続けた。
「何回も何回もいろんな条件や理屈をこねて『本当に大学行きたいのか?』って考える。俺らの頭にはそう考えることが「村」で刷り込まれている。こんな思考回路は時どきいらつくし、混乱する。でも一方で慎重とも言えるし、後悔しにくいのかもしれない。標準的なものの見方を簡単に肯定しない点は、生き方がへたくそでもあるし、楽でもある。それがまあ、女と付き合ってる時でも知らんうちに出ているみたいで、飯食いに行ったりとか、映画行くのも、俺は我が儘でもないんだけど、女にあわせるだけじゃなくて、自分の意見も言う。でもあまり押し付けない。だからそいつにとっては、どうしたい?って都合を聞いてくるだけの男とは違って見えたらしい。そいつは、自分は韓国と日本のハーフで、韓国から一人で来て苦労したって自覚してる。でも、それが自分の武器で、個性だと思ってる。そのへんは強いと思うよ。そいつは俺のことを強いというか変だと思った。その辺の相性のせいかな」
「なるほど」と俺は言った。けっこう健一も考えているんだなと思ってそう言うと、今思いついたようなもんだけどな、と健一は笑った。
「俺は「村」のことも言ったよ。今まで村出てから付き合った女にはいうつもりもなかったけど、そいつには言った。」
「どうだったんや」俺は訊いた。
「またそれは話すよ、その前に終わってるかもしれないけどな。」
そう言って健一はやるせなさそうに笑った。俺たちは話し終えた。健一は清水橋に住んでいる篤志に電話をかけたがつながらなかった。時刻は十時前だった。休日だし早いからまだ寝てるんだろうと俺は言った。何か面白い本はないかと訊くので、筒井康隆の『文学部唯野教授』は頭を使う暇潰しになると言って渡した。十一時半ごろに飯食いに行こうと言って俺は眠った。

一気に眠りに落ちたみたいで、健一が俺を揺すって起こした時にはだいぶ疲れは取れていた。健一はまた篤志に電話したが、まだ通じないようだった。俺が代わって自分の携帯電話で掛けると、話中の無愛想な機械音が耳に響いた。俺たちは駅前の『松屋』で昼飯を食うことにした。部屋を出ても室内とさほど変わらないほどに暖かくて
「お前の部屋全然暖房が効かない」
と言って健一は笑った。隣家の植え込みの馬鹿梅の木に三つだけ蕾がふくらんでいる。駅前は普段の休日とあまり変わらないぐらいの人の流れがあったが、心持ち歩みがゆったりしているように思えた。銀行の入り口に屋根から地面まで白いビニールカバーがかかっていて、何か工事を中断しているようだ。田舎で銀行に行っている暇はないから、早めに金を下ろしておこうと思った。食事をして部屋に戻り、また篤志に電話すると今度は通じた。
「お前ずっと話中だったぞ」
俺が言うと
「悪い、ずっと善一郎君と話してた」と篤志は言った。
「善と、なんで?」
俺は驚いて聞き返した。
「仕事手伝ってくれんかって言われてさ、それでずっと話してた、詳しいことはお前ら来てから話すよ、何時ごろ来る?」
俺は健一と相談して、三十分ぐらいしたら出ると言った。
「メシは?」と篤志が言う。
「もう食った、じゃあ後でな」
電話を切ると、篤志がメシは?と言ったのがおかしくて、あいつは家に行くと飯の仕度してくれるんだよと健一に言って二人して笑った。それから俺は思いついて俊之に電話した。
「今健一と二人で俺ん家いて、これから篤志ん家行くんやけどお前も来やへん?」
「ええんやけど、今親が留守やねん、ちょっと用事言われてて、二時間ぐらいしたらあくけど。」
久し振りに聞く俊之の声は、いつもながらの人から一歩後ろに引いたようなおとなしい声だった。
「でも暇は暇なんやろ?」
俊之は、それはそうだと言った。
「じゃあ後でまた電話するわ、もしかしたらそっち行くかもしれん」
俺はそう言って電話を切った。
「俊之久し振りやな、あいついつ「村」出てきたん?」
ジャケットをはおりながら健一が訊いてきた。俺はちょっと思い出してみた。
「俺が会ったのは一年半前の夏かな?一緒に麻雀やった気がするなあ、そうや、あいつ俺が帰る次の日に「村」出るって行ってたんや、だから俺電話した。まあ俺のが外の世界は先輩やし、なんか会ったら電話しろって言った。あいつは電話くれてありがとうって言ってた。実際はそのあとあんまり話してないけど、今は先に村出た親と一緒に住んでんのかな?確か大学受かったって誰かに聞いたな。」
「すごいじゃん、どこ行くんや」
健一は嬉しそうに言った。
「明治の二部って言ったかな、でも明治大学か明治学院かよくわからん、俺も最近知ったけど明治って二つあるんだよな」
俺は答えた。その時どこか違和感を覚えてちょっと考えた。
「なんかあれやな、急に昔の奴と話すと三重弁と東京弁がごっちゃになるな」
そう言うと健一は「東京弁じゃなくて標準語だろ」と言って笑った。俺たちは仕度して部屋を出た。

普段俺はそんなに電車を利用しないのだが、ちょっとありえないと思うほどに車内は空いていて、新宿に着くまで山手線の中で一人で一座席を占領して座っていられた。
「やっぱ田舎に帰ってる奴が多いんかな」
「そうやろ、東京の半分以上は元々田舎者なんやろ」健一は相づちを打った。
新宿で乗り換え、京王新線の初台で降りる。新国立劇場の裏手を新宿方面に向かって適当に俺たちは歩いていった。広い道に全く車が走っていない。道は白く光っていた。歩道を歩いていく俺たちと、前方から全速力で自転車をこぐピンクの耳当てをした女の子がすれ違った。師走にそんなに急いでどこへ行くんだと思った。健一が口を開いた。
「京都の交通手段ってバスがメインなんだよな、一日乗車券があって、決まった範囲内だと何回乗ってもその値段しかかからないんや。俺と女がデートする時はいっつもバイク。女はスクーターで、バイクとスクーターで京都市内をツーリングしてる。俺がスピード落としてスクーターに合わせるんや。なんかニケツするの嫌がるんだよ。」
だだっ広い道路を見つめながら健一はそう言った。
「一回ぐらいニケツしとけよ、記念に。」
俺は言った。そうやな、と健一は呟いた。
道の突き当たりが小さな商店街になっていて、俺たちは商店街を横切って路地に入った。左手に歯医者が見えたところで篤志から電話があり
「今本町二丁目の歯医者の横、もうすぐ着くと思う」と言って俺は電話を切った。知らない町をのんびり歩いていくと、何故か気分がうきうきする。やがて下り坂になった。両側に住宅が並んでいて坂は日陰になっている。日陰は寒くなく、静かに暖かだった。中学校の大きな塀に突き当たり、左に折れてすぐの米屋の角を右に曲がると、そこはスクーターで来た時に見知った場所だった。
「凄いな、適当に歩いたのに着いちまった」俺は自画自賛した。篤志は家の前で待っていた。約二月ぶりに俺は篤志に会った。篤志の顔はもみ上げから鼻の下、あごまで硬そうな髭で覆われていた。
「なんだその髭は?」
呆れた俺に答えず
「久し振り」と篤志は健一に笑うと、こっちだと言うように手を振って家の中に入っていく。
「こいつ、やたらいい部屋住んでるんや、一人で住むのがもったいない」
階段を上っていく篤志の背中を見ながら、俺は後ろに続く健一に言った。部屋に入ると健一は驚きの声をあげて、風呂やベランダを覗き
「これはいいなあ、今度東京来た時はお前の家じゃなくて、こっちに直行するわ」と言った。俺は篤志に
「その髭いつから伸ばしてるんや、仕事大丈夫なんか」と訊いた。篤志は右手であご髭の感触を確かめるようにしながら
「ひと月ずっと剃ってないな、今現場に直行やから、なんも文句言われない。俺今町田まで行ってるんやぞ、遠いわ」と言った。俺はダイニングテーブルの椅子に腰を下ろして、篤志の髭が全く生えてなかった、前回会った時のことを思い返した。

その十月の夜、俺たちは中目黒の居酒屋で飲んでいた。篤志は自分の夢を語った。
「十年後に銀座かどっかで、政府のえらいさんとか儲かってるサラリーマンが息抜きに来られるようなバーを開きたい」
まずい秋刀魚を食いながら俺たちは話していた。そんなに儲からなくてもいいんだ、俺一人食えたらいいからとか、つまみで何か名物を作りたい、俺はウインナーが好きだから、ものすごく美味いウインナ―を開発したいなんていう話を、ぽつりぽつりと、だが意志を込めて篤志は語った。俺は十年じゃなくて五年にしろとか、ずっと一人でいるって決め付けなくてもいいんじゃないかなんて言いながら、実現は難しいにしても、ようやく篤志が目標を持てるようになったことに安心し、自分のことのように嬉しかった。
俺が十七で「村」を出て、小さな食品工場に始まり、軌道工、クラブのボーイ、新聞配達、別荘地の魚屋、居酒屋、Vシネの製作会社、宅配便のアルバイトなどを点々としている頃、篤志はずっと秋田の「村」で米を作り続けていた。俺が考え方を改めて大学に入った二十二の年に、篤志は「村」の生き方に別れを告げ、築地市場に職を得た。毎日朝三時に市場に向かい、見よう見まねでセリを覚え、やがて力の抜き所を知り仕事をこなしていくうちに二年間が過ぎていった。ある春の日に篤志は仕事を辞めた。会社の寮を出て、その頃付き合っていた女とも別れ、清水橋に部屋を見つけて一人暮らしを始めた。厭世的になった。
引っ越した直後に飲んでいる時
「俺は生きていても意味がないような気がする、死ぬ自由ってのはあるよな」
篤志は淡淡と言った。
「お前が死ぬ自由はもしかしたらあるかもしれない、だけど、俺は死にたくない。死んで欲しくもない、お前に死んで欲しくないって思う奴がいる限りまだ死ぬなよ。」
俺は言った。そう言いながらその時俺には、篤志の心境がわかっていた。それは俺が「村」を出てから四年かかってやっと乗り越えた壁だった。

「村」は閉塞された空間だった。俺たちは子どもで、世界はその「村」の中で完結していた。「村」は俺たちに、本当の生き方を考えろと常にしつけた。しかし一般社会での具体的な生き方を、子どもたちに示すことはなかった。「村」の中で生き方を問い詰めていくと、答えは必然的に「村」で生きるしかないということになる。だが子どもたちには目があった、耳があった、そしてわずかに自分の力で考える頭をもっていた。成長して子どもたちは村の外の世界の存在を知った。知る前から常に別の社会は村の周りにあったのだが、自分がそちら側に移動することが出来る、村の外で生きることも可能なのだということを、現実として受け入れるのには成長が必要だったのだ。そこには個人差があった。俺が十七で「村」を出て、篤志が二十二でそうしたように。
「村」に金はない。ほぼ自給自足の生活をしていたから、外の世界との交渉事に金を必要とするだけだった。十七で初めて俺は労働に対する報酬を得た。働いて金を得れば生きていけるのだということを生身で知った。しばらくはそれだけで良かった。そのうち知恵がついた。ある程度の学歴が生きていくのに左右することを知った。世間にはいろんな職業があり、夢に向かって努力する人間がいることを知った。夢は簡単に手に入らず、諦めてどこかで妥協して生きていく人間を知った。働くことが自分の生きがいである人間と、働くのは金のためであり、余暇に生きがいを見つける人間にほぼ分かれることを知った。俺は考えた。自分は何をしたいのだろう。脳味噌の中を探し回ったけれど、答えはどこにもなかった。俺は本当はどうやって生きたいのだろう?どの職業も俺には合っていないように思った。長く続かなかった。「村」で生きることを選び、そこで俺を育てた親を恨んだ。
どうして俺を普通の子どもにしてくれなかったんだ?
ようやく俺は二十一で、まず現状を受け入れるしかないことに気付いた。過去を否定し、現在の自分は本来の自分ではないといくら思ってみても、事態は好転しないのだ。今やれることを知り、将来の可能性を探ろうと思った。俺は自分に問うた。何がしたいんだ?中学で辞めてしまった勉強をしたい、答えが心に響いた。そして俺はとりあえず大学に行ってみることにしたのだ。

篤志の迷いはかつての俺と同質だと俺にはすぐわかった。篤志はやっと外の世界に慣れ、少し幻滅し、賢くなったのだ。過渡期にいた。俺の経験からすれば、自分で答えを見つけるしかない期間だった。
居酒屋で話していて、俺は篤志が予想以上に早くこちらの社会で夢を語れるようになったことが嬉しくて仕方がなかった。「村」の時と目指すものは違うけれど、その頃と同じように、俺たちは同じ地平から物事を見つめられる視点を持てたのだから。
日本酒を飲みながら、俺は篤志の立場になって考えた。築地を辞めてから篤志は電気工事をする会社に勤めていた。
「具体的にこれからどうするんだ?」と俺は訊いた。
「築地で知り合った人が春に店を出すんだ。来いって誘われてる。その人は今渋谷とか新宿で物件を探してる。これくらいの規模だと思う。」
篤志は首を左右に振って、その五坪ほどの小さな居酒屋を見渡しながら言った。
「仲間内だけでやるって言ってる。まあすぐつぶれるかも知れんけどね」
篤志はそう言って笑った。
「でもその店で料理を覚えられると思うし、客商売もある程度覚えられるやろ。それからバーで働くとかまた考えて、ぼちぼち金貯めるよ、電気屋は三月に辞めるつもりでいる」
「なるほどね」と俺は言った。
「まあやる気になったのはいいことかな」
「そやな、やっとな」
話しの終わりに篤志はそう言って笑ったのだ。

俺が二ヶ月前を思い出している間に、健一はリビングと引き戸で仕切られたベッドルームに移り、座り込んで篤志のDVDソフトをいじっていた。俺もベッドルームに移動して床に座った。日が真横の窓からまともにぶち当たって、左半身だけが暑くなった。向きをかえて背中が日に当たるようにした。そこからダイニングでごそごそと動いている篤志の姿が見えた。
「なんやねん、さっきの善の話って」
俺は篤志の背中に向かって声を張り上げた。自分の生きかたに対する考え方を、篤志は築地を辞めた直後に逆戻りさせてしまったのかと思っていた。篤志はすぐに応えず、キッチンの方からボールいっぱいの蜜柑を持ってきて、俺と健一の前に置いた。健一は早速皮をむきだす。俺も仕方なしに一つ手に取った。甘い果汁がじんわりと口の中に拡がった。
「で?」俺は篤志を促した。
篤志が言うには、俺たちの一つ先輩の善一郎は、北海道の夕張の「村」で農業を続けているとのことだった。善一郎は村の現状を篤志に語った。
かつて「村」は、日本全国、ドイツやブラジルなど世界各地に点在する同じ理念を持った共同体を全部まとめて一つの組織として考え、経営は中央機関の判断に委ねられていた。土地の拡張や建築物の費用は、中央から金が回され支払われた。それがここ一年ほどで変わったのだと善一郎は篤志に言った。「村」は全盛期ほどの勢いがなくなった。今は各地にある程度のまとまった金が渡され、その後の運営はその地に住む村人に任されるようになったのだ。「今、村には働き手がいないんだ」と善一郎は言った。若者の多くは「村」から出て行った。残っている村の人間は働こうとしない。今はまだ金があるからそれでも良い、でも早晩やっていけなくなることが目に見えている。
「俺は「村」の理念は今そんなに重要じゃないと思っている、でもここで「村」をなくしてしまいたくない、俺は農業が好きだし、人間が生きていくことの基本は結局食うことだ。この場所だけでいいから、俺はまた盛り返したい。昔とは形が変わると思う。「村」とか外の世界とか関係なくなる。この地域の人たちに溶け込んで、俺は日本の農業を続けていきたいんだ。農協から土地を借りて今始めようとしている。「村」だけじゃなくてどこも農業のやり手がおらんから、畑を使ってくれるのを歓迎している。一定の金を払えば後は自分たちの儲けになるんだ。俺は地道にやり続ければ何とかなると思う。でもそのためには、信頼できる人間と一緒にやりたい。だから篤志、こっちに来てくれよ」
善一郎は強く誘って電話を切ったのだという。
「ずっと朝からそれで話していたから電話通じなかったんだ、わりい」篤志はそう言って話を締めくくった。
「で、なんか考えてんの、お前は。」
俺は訊いた。
「ちょっと迷ってるよ」と篤志は言った。
「でもお前店やるんだろ、善の方は始めっから無理だろ」
俺はちょっと力んでいった。篤志は三つ目の蜜柑に手をかけている健一と顔を見合わせた。
「あれ、言ってなかったっけ、店の話伸びたんだ。四月って言ってたのが、借りれるはずの店舗が駄目になって、また店探ししてるんだ。だから夏ぐらいになるらしい」 
俺は健一の顔を見た。健一は頷いていた。
「じゃあ、電気屋はどうするんだ?」
「それは辞めるつもりでいる、もう気持ちが切れちゃってるからね。それでどうしよっかなって思ってたところで善君から電話があって」
「なるほどね」と俺は言った。煙草が吸いたくなった。篤志にことわり、料理用のアルミホイルを切って灰皿の形を作り、俺はベランダに出て煙草を吸った。ベランダは隣の家とL字型でつながっている。角に白い仕切りがあり、そのためあからさまに他人の住居を覗くことは出来ないが、物干しはすぐ目の前にある。ピンクのブラジャーと白い股引がかすかに揺れていた。影が射したので頭上を見上げると雲の大群に日が覆われている。すぐに寒くなり、俺は急いで煙草を消して部屋に戻った。健一は目の前に蜜柑の皮を積み上げていた。
 「賽の河原で石を積み上げる子供見たいやな」と俺は言った。
 「この蜜柑むっちゃ美味い、どこの蜜柑や」
健一は四つ目の蜜柑の皮を剥きながら篤志に言った。
「幸彦さんが送ってきたんや、今和歌山で蜜柑作ってる」篤志は答えた。幸彦は三年先輩で、篤志が秋田でずっと一緒に仕事をしていた仲間である。俺は蜜柑に手を伸ばして篤志に言った。
「隣の女やっぱ男いるんやな、股引が干してあったよ、顔合わせたか?」
「いやまだ会ったことないよ、男は見かけたことあるけどな。仕事帰りにちょうど出てきて顔あわせた」
「どんな奴?」健一が訊く。
篤志は首をかしげた。
「暗くてあんまわからんかった。普通ちゃうか、サンダルで頭寝癖ついてて突然俺にあったからびっくりしてたよ、さっさと下りてった」
「股引はいとった?」健一が自分で言いながら笑った。
「そんなんわからんよ、聞けへんし、聞きたくないやろ」篤志も声をあげて笑った。 俺は仕事の問題に話を戻した。
 「善はいいと思うんや、自分のやりたいことやし、失敗してもそれなりに納得するだろうし、でもお前はどうするんだ、もし失敗したらそこからまた戻ることって難しいぞ」
 「そうかもな」篤志は言った。
 それに、と俺は少し力を込めた。
「うまくいってたとしても、仲間内だと相手の考えがわかりやすいけど、逆に遠慮もしやすいやろ、それで仲悪くなったら最悪やぞ」
 「でもそれはこっちで働いてても一緒やろ、結局人間関係で仕事が嫌になったりするのは。そう考えると善君のことは昔から知ってるんやし、今他の仕事を一から探すよりは絶対いいよ」篤志は反論した。健一が大きな声で口を挟む。
 「違うんだよ、透が言いたいのは、篤志が何やりたいかってことだろ」
「うんわかるよ」篤志は頷いた。
「だから迷ってるんだって」
そう言うと篤志は大きな息を吐き出した。俺はベッドサイドに目をやった。俺がこの前に貸した村上春樹の『海辺のカフカ』が置かれているのに気付いた。俺は首を振って篤志に、もう読んだかと訊いた。読んでない、仕事が忙しくてまだ二、三ページしか進んでないと篤志は答えた。健一は蜜柑を食べるのを中断して手を洗いに立ち、戻ってくると『海辺のカフカ』を手に取りページをめくりだした。俺と篤志は黙って健一の行動を見ていた。同時に二人とも健一から目を離し、二人の目が合った。篤志が口を開いた。
「俺はさ、「村」は嫌いやけど、農業は嫌いじゃないねん。十代の頃はやるしかないからやってたけど、お前と善君とサツマイモの世話してる時はけっこう楽しかったし、秋田で幸彦さんと米作ってても楽しかったし、作ることは仕事にしたいんだよな。お前が村出た頃はまだ俺も出たいなんて考えなかった。でもマスコミで「村」が叩かれるようになって、児童虐待とか、無農薬だって言ってるのに本当は農薬使ってるのが暴露されてさ、俺らはそれを昔から知ってたやん、でも変とは思わんかった。実際俺らが農薬まいてたのにね。二十歳過ぎてやっとどっか変やと思ったんやな、それで「村」出たやろ、その後健一がドイツから帰ってきてすぐに「村」出て、大学行って。焦ったよ、俺も大学行こうかなって思った、でも俺は勉強できへんから諦めた。なんか一人だけ取り残されてる気がしたよ。それから考えて、やっぱ俺は人付き合いあまり好きじゃないから、一人で出来る仕事しようって思ったんやけど、まだ意志が固まってないんだよな。俺もさ、三十代でまたやり直すのは嫌だと思ってるよ。でも農業やってもいいかなと思ってる、まあこの三ヶ月か、考えるよ」
「うん」俺は頷いた。
「俺は三十代でも遅くないと思うぜ」
健一が本を閉じて言った。
「後悔してもいいと思うぜ。なんだかんだ言っても俺も透も先見えてないじゃん、大学出てもどうするか決まってないだろ?」
「そうやな、就職する気持ち全然ないしな、どうするんやろな」俺は答えた。
「だろ、だけど大学行ったのは後悔してないやろ、現時点では」
俺は頷く。
「先は後悔するかもしれんししないかもしれん。何でもそうや、大事なのはその時に自分を信じて真面目に考えることやろ、後悔するかも知れなくても、せめてその時決断した自分のことは納得できるぐらいに考えて、その時やりたいことを決めることやろ」
健一は何だか怒ったように言った。
「だからやめ、後は篤志の問題や」
それで話を終わらせた健一は、また蜜柑をむき出した。俺と篤志は顔を見合わせて笑った。
さてこれからどうしようかということになり、俺は俊之に電話すると言ったのを思い出し、どうせなら俊之の家にも行こうと二人に持ちかけた。
「今日は一日、家庭訪問やな」
健一が言って笑った。
「お前交通費使ってばっかやけど大丈夫か?」
俺は気になって訊いた。そんなの全然大丈夫だと大袈裟に健一は手を振った。

『日曜日の東京は、もぬけの殻のようである』と書いたのは永井龍男だが、仕度をして部屋を出た大晦日前日の清水橋は、ほとんどがらんどうの街だった。俊之は新宿御苑の近くに住んでいて、俺たちは西新宿五丁目の駅まで歩いて、大江戸線で千駄ヶ谷に向かうことにした。山手通りに近づいてようやく一人目の対向者が現われた。その子どもは裏に車輪のついたスニーカーで俺たちの横を通り抜けていった。そんな形態のスニーカーを見て俺はびっくりした。
「あれなんていうか知ってる?」
したり顔で篤志が俺に訊いた。知らないという俺に、ローラーシューズだと篤志は言った。
「しかし器用に滑るよな、危ねえよな」
という健一に俺は頷いて
「でもやっぱ不景気だからああいうの作んないと、メーカーも大変なんやろ、いいんちゃう、それでちょっとは景気が上向いたら」と言った。言いながら、俺たちも確実におっさんの会話をしているな、と思った。
健一は大江戸線に乗るのが初めてだった。俺は一回しか乗ったことがないのだけれど、篤志と一緒に大江戸線は立っている人がすれ違えないぐらい狭いだとか、やたら地下深くにあって、大地震があったらどうするつもりだとか健一相手に不満をぶち上げた。三人並んで座った目の前には、奇妙な男が一人で座っていた。男はスヌーピーの絵が入ったハンドバッグを抱え、首から透明の定期入れを紐でぶら下げていた。定期入れに入っているビッグカメラのポイントカードが丸見えだった。電車が動き出すと男はおもむろにポケットから札束を取り出し定期入れの前で勘定し始めた。札は全部千円札で、俺と篤志は顔を見合わせてまぶたをせわしなく閉じたり開いたりした。まったく油断のならない世の中である。
アルパチーノの主演の『カリートの道』に出てきそうな、長過ぎるエスカレーターを上がった先が、大江戸線千駄ヶ谷駅の出口だった。俊之を待っている間に、国立競技場の方から来た紺のジャージ姿の集団が、次々にJR千駄ヶ谷駅の中に消えていった。なんだろう、と俺は考えた。答えが見つかる直前に篤志が、
「そうか、今高校サッカーやってるんや」
と言った。もちろんあと二日で新年を迎えることは知っているのだが、俺はあらためて、正月が来るんだなと思った。
俊之は四谷方向から中央線の線路下の坂を走ってやってきた。ノースフェイスの青いダウンジャケットに、しゃれっ気のない色落ちをしたジーンズを履いている。髪は小学生の頃からずっと変わらない、真ん中わけのサラサラヘアにこの日もなっていた。

俊之は小学四年生の頃に「村」に参画した親に連れられてやってきた。その頃から人前で目立つことなく、周りに同調してその中でささやかな自分の楽しみを見つけるような性格をしていた。ただ、俺は一度だけ俊之が怒ったのを見た記憶がある。
「村」では大人は大人だけで暮らし、小学生は小学生だけ、中学生は中学生だけでひとつの宿舎で生活していた。子どもには大人の世話係がつき、俺たちは日々その指示に従って動いていた。一日の終わりに子どもたちは一つの部屋に集められ、次の日の連絡事項を係から伝えられたり、生活上の注意を受けたり、「村」の考え方について大人から諭されたりした。「村」は共同社会であるから、集団の意見がまとまらないと機能していかない。「会議」のような形態のシステムを日常のあらゆる場面で持つことは、村人の生き方を絶えず一つの理念に沿わせて実行するために、欠くことのできない方法だった。子どもたちにも同じ方法が取られた。子どもは自然にそのやり方に馴染んでいくように仕向けられたのだ。
その時俊之は一人図書室で本を読んでいた。俺たちは図書室から少し離れた部屋に集められて係が来るのを待っていた。入ってきた係は俊之がまだいないのに気付き探しに行った。どんな声を俊之にかけたのかはわからない。突然
「馬鹿っ」と怒鳴る俊之の声が聞こえ、すぐにビシッと頬をはたく音が響いた。俺たちは一斉に部屋の戸を開けて廊下を覗いた。俊之が耳を引っ張られて外に連れ出されるところだった。そのあと二時間ほど俊之は玄関の横に裸足で立たされていた。俺は後で、何で馬鹿って言ったのかと訊いたが、俊之は声を出さずに笑っていただけだった。
その後高校二年の年まで俺たちは同じ場所で暮らしていたが、特別に親しい間柄でもなかった。俺には他に親友と呼べそうな奴がいたし、俊之は俊之で一緒に飯を食いに行ける友達がいたのだろう。俺が村を出てからはほとんど交流はなかった。しかし二十歳を過ぎて、俺がたまに「村」にいる親元に帰るようになってからは、俊之と会うようになった。その頃には俺達と同年齢の連中の六割方は村を離れていて、残った奴等もほとんどは三重県の「村」から各地に散っていた。健一はドイツに行き、篤志は秋田に行った。俊之はずっと小学生でやってきた三重の「村」に留まり続けた。こいつはこの先どうやっていくのだろうと俺は顔を見合わせる度に思ったけれども、突っ込んで話すことはなかった。俺は俺自身の身の振り方を考えるだけで精一杯だったのだ。
俺たちが二十歳を過ぎた頃から、段々と「村」はかつての輝きを失っていった。各方面からその生き方や子育ての様子が賞賛されたのは過去の話となり、篤志が考え方を改めたように、「村」に住んでいる大人の中で、ここでやっていることがはたして正しいのだろうかと疑う者が増えた。俊之の親は篤志とほぼ時を同じくして「村」を出た。親は既に五十代の半ばになっている。「村」に参画する前はたとえ一流企業で出世街道のトップを走っていたとしても、十年とか二十年のブランクを経て再び元の職場に復帰するなんてことは当然ありえない。俊之の父は昔労働組合の委員長だったというが、今は雑居ビルの警備員をやっているとのことだ。俊之は親よりも長く「村」に留まり続けた。そして一年半前、遂に「村」を出て、今親と同じアパートで住んでいる。俺からしてみれば、「遂に出た」という表現がぴったりだった。

膝に両手をついて呼吸を整えている俊之の前に、篤志が伊勢丹の包装紙で包まれた小包を出して
「これ、大学の合格祝い、ペンケース」と言った。篤志はそういう所に気の効く男だ。俺と健一は「三人からの」と声を合わせた。本当は全く金を出していなかったのだが。俊之は照れながら受け取った。
「親どうしてるんや?」と俺は訊いた。小学生の頃から見知っている俊之の親だが、もう十年ほどは顔をあわせていない。
「用事で三重に行ってる。正月まで帰って来ない」
と俊之は言った。朝にそう言っていたのを俺は思い出した。
「まだ「村」と付き合ってんの?」
俺は重ねて訊いた。
「よくわからんのやけど、鈴鹿の方で「村」出た人が集まっていて、そこの寄り合いにちょこちょこ行ってる。月に一回ぐらいは」
「お前親に訊いてないの?けっこう鈴鹿に元村人が集結していて、なんか内部分裂っぽくなっているらしいで」
篤志が不思議そうに俺に言った。
「詳しくは知らんな」
と俺は答えた。
「なんか聞きにくいやろ、うちの親はえらいさんっぽくなってるからな、雰囲気で村がやばいのはわかるし、事情を聞くと可哀想な気もするから」
「そうやな、お前の親は絶対でえへんやろ、俺のとこはどうかな、まあ好きにやってるかな」
健一がそう言った。健一の親と俺の親は俺たちが生まれた頃同じ「村」で暮らしていた時期があったらしい。今は埼玉と三重に分かれていて、年に何度かは健一の親が三重に来る折に顔をあわせる程度のはずだ。お互いにお互いの子どものことをも気にかけていて、俺は健一の親から作物を送ってもらったことがあるし、健一は何かの折に三重に立ち寄ると、「透はどうしてる?」と俺の母親から訪ねられる。親はいわば長年の戦友で、子どもは幼馴染みの関係だ。だから俺にとってはこの三人の中で健一に対して一番親近感が強いだろう。
「やっぱうちの親は出やへんかな」
俺は自分自身にも確かめるつもりで健一に言った。
「お前はどう思うんや、いまさら出られても困るんちゃうか」健一が逆に訊き返した。
「そうやな」正直に俺はそう思った。
「お前のとこは?」健一に訊いた。
「俺のとこもたぶん出やんよ、親父はなんだかんだで農業好きっぽいからな、農業しながら、本読んだり、たまに酒飲んだりしてんのがあってんのちゃうかな」健一は暗くなってきた空の様子を窺いながら言った。
俺は普段運動をしていないので、外苑西通りを新宿通りに向かって一キロほど歩いていく俊之のアパートまでの道のりが辛かった。足を下すと地面からばね仕掛けのように痛みが跳ね返ってくる。腹がそろそろと空いてきたが、通りには中華の小さな食堂の明りが灯ってるだけだった。俊之は親と同じアパートに、一人で2Kの部屋を借りていた。親と管理人が仲良くなって、俊之がこれから大学に入るつもりだとの話を聞いた管理人が、勉強部屋としてちょうど空き部屋もあるし貸してくれたのだという。ただし一年だけの約束で、この春からは入居予定者があるから、俊之は親と住むつもりがないのなら部屋を探さなければならない。
「じゃあ俺と一緒に住むか?」
冗談めかして俺は言った。今住んでいるアパートでの暮らしは四年になり少々飽きてきたし、いろいろと物が増えて近頃ひどく狭く感じる。俊之となら二人でシェアしてもうまくやっていけそうな気はする。しかし俊之はちょっと困った顔をした。
「できるだけ、大学に近いところで借りようとは思ってるんだ、まだあまり探してないけど・・・」
なんとなく、一人で暮らしたいのだなとわかったので、俺はその提案を引っ込めた。
俺たちはざっと俊之の部屋を見てから、親が暮らしている方の部屋で寛いだ。寝室に使っている部屋で畳の青い匂いを久し振りに嗅いで、そういえば両親とも煙草を吸わないのだなと思った。キッチンとつながったダイニングには新聞があり、TVと釣り雑誌があり、食卓用のテーブルには椅子が四つそろっていて、部屋の主は留守なのだけれど、家庭の空気がそこに漂っていた。俺たちは皆家族だけの生活を経験していない。住む人の名残をとどめたほのかに暖かい空間は、居心地がいいような悪いような中途半端な感触を俺に与えた。
ダイニングの床に腰を下して、俺たちは改めて俊之に合格おめでとうと言った。明治学院か明治大学かどっちかと訊いたら、明治大学の二部だと俊之は答えた。この春から大検合格のための専門学校に通い、大検を取って秋に大学に合格する、自分も通ってきた道だけれど立派なものだと俺は思った。俺と健一は一緒になって、経験を踏まえたアドバイスをした。俺は大学で取れる資格はできるだけ一年から取っておけ、二年、三年になってあとから取りたいと思っても、その時は難しいからと言い、健一は是非サークルに入るように勧めた。
「サークルに入った方がいろんな奴と仲良くなれるし、面白いぞ。」
「そうや、俺も二部で時間がないと思って入らなかったけど、それやとなかなか人と知り合えへんから、入っといたほうがいいと思うで、俺の場合今からは無理やからなあ。それに絶対積極的にいけよ、女にしてもこっちから声かけやんと、よってこやへんぞ。」
俺は健一に同調して言った。思いついて更に付け足した。
「始めが肝心やぞ。どの講義取るか決めんとあかんから、その時に迷ってる奴がいたら「どれ取るの?」って声かけるんや、そっから仲良くなれるかもしれんからな」
俊之は俺と健一に気おされたようにしながらも頷いていた。
「いいなあ、みんな。俺は結局大学いけへんかったからなあ」
篤志がぽつりと言った。その一言で俺と健一は黙った。
「でもお前はお前でやること見つけようとしとんのやろ、だったらいいやろ」
説得力が全然ないなと思いながら俺は言った。
「まあそうなんやけど、なんかちょっとうらやましいよな」
篤志を見ると正座しながらわざとすねているような顔をしていた。俺は少しほっとした。
「お前なんで正座してんだよ」
「いや、なんとなくこの方が収まりがいい気がして」
四人は笑った。窓を開けて俺と健一は煙草を吸った。ベランダから冷たい空気が流れ込んできて、煙草の煙は畳の匂いと交わり、やがて空中で消えていった。
「何学部行くんだっけ?」
煙草を吸いながら健一が俊之に訊いた。
「商学部」と俊之は言った。
「商学部?なんだそりゃ」
と俺は言った。
「経営の理論とかを勉強するんやろ」
健一が言った。俊之は頷いた。
「何でそんなのまた勉強する気になったんや?」
と俺は訊いてみた。俊之は自分が話題の中心になることに慣れていない様子で、俺と健一が訊くたびに首をあっちに向けたりこっちに向けたり落ち着かない素振りをしていたが、俺の核心をつく質問にその動きを止めて、下を向いた。その視線に合わせて俺も下を向くと、俊之は篤志と同じように正座してかしこまっている。
「まあ自分の家やからとりあえず寛げよ」と俺は言ってみた。俊之は申し訳なさそうに笑い、足をほぐしてあぐらをかいた。それから唐突に
「実はけっこうお前と健一が大学入ったの聞いて影響されたんだ」
と言った。自分の言葉に鼓舞されたのか声を一段張り上げる。
「とくに健一が大学行くって言って村出た時は、俺も焦った。それで村出たんやけど、今から大学行ったら卒業する時は三十やと思うとなかなか勉強する気になれんかった。でも健一が合格したっていうの聞いてやっと踏ん切りがついて、行けるんやったら大学行こうかなって思ったんや」
うんうんと頷きながら俺たち三人は聞いていた。
「ほんで?」
俺は先を促した。
「昔さあ、お前がこれから勉強するんやったら経営の勉強しろって俺に言ったやん」
俊之は上目で俺を見ながら言った。そんなことがあったかなと俺は思った。
「ずっと前に一緒に麻雀した時、「村」は最近やばいんちゃうかなって話してて、そん時お前が、『多分、村は経営やる奴がおらんからあかんのや。こっから五年とか十年とか経ったら絶対世代が変わって俺らの年代が村を動かすようになるんやから、その時に経営できる奴は強いぞ』って言ったんや」
「そんな生意気なこと俺は言ってたっけか」
俺は頭を掻きながら言った。言った記憶が漠然と蘇ってきていたが、俊之に真面目に指摘されると照れくさかった。
「けっこう透は昔から納得させられること言うんだよな、自分で意識しとらんかもしれんけど」と篤志が言った。俊之は続けた。
「それで、実は俺大学でたら村帰ろうかなって思ってるんや」
「まじで」健一が驚いたように言った。
「なんで?」
「その、経営を任されるようにならんかなと思って」
俊之は自分の目の前の床に置かれた雑誌をせわしなく揃えながら言う。
「出来ればやけどね、俺は「村」が嫌いやないから、出来れば村に帰って、村を再建したいなと思ってる。やっぱ老人の面倒とか誰かがみやんとあかんやろ」
「好きな奴でもおるんとちゃうんか」
健一が俊之の言葉を信じきれないといった調子で言った。
「そんなことないよ」
俊之は慌てて手を大袈裟に振って否定する。
「俺一番最後まで村にいたやろ、本当のところ出て何かしたいって気には全然ならなかったんや。居心地良かったから。でも、今の「村」の状態はいいとは思ってない。やっぱ世間で騒がれるからにはそれだけの理由があるんやと思う。ただ難しいところはわからんけど、「村」の基本の考え方は間違ってないと思うんや」
「どんな風に?」
俺は訊いた。将来のことなんかてんで考えていないと思っていた俊之が、静かに「村」の現状を踏まえようとしていることが驚きだった。
「争い事がなくて、みんなが仲良く楽しく暮らせる社会を目指すって所や。もちろん既に崩壊しかかってるのはわかってる。でもそこでしか暮らせへん人もおるんちゃうかな。宗教にすがりつくってのと結局似てるんかもしれんけど」
俊之は顔をあげて俺を見た。
「うん、俺も元の考え方は間違ってないと思う」
篤志が静かに言った。
「でも結局つぶれかけてるんだぜ、人間の欲望を押さえ込んで共同体の中でやっていくには限界があるんだよ、その事実が今目の前にあるってことが大事なんじゃないのか、だから俺は「村」に生きるなんて考えは無くて、俺個人がどうやってこの社会で生きていくかを考えるんやけどな」
俺は反論した。俊之は俺と健一の顔を順に見た。
「透と健一の親も「村」にまだおるやろ、俺の親もそうやけど一時期大人がどっと出てったやん、お前らの親も絶対悩んだはずやけど、「村」に残ったからには、「村」を残すことに意味があると思ってるんやろ。形は変わると思う。小さくなると思う。でも小さいなりに平和に暮らしていける「村」の組織があるのは貴重やと俺は思う。俺はその組織を助けたいんや」
「善君の言ってたのも多分同じような意味ちゃうかな」と篤志が言った。
「俺が村嫌いやったのは、上から押さえつけられるような感覚が常にあったんだよな、この方針に従えってのが。でも善君と話してて、俺らの時代になったらちょっとは変わるかもなって思ったんやな、て言うか変えればいいんじゃんってこと。なかなかうまくはいきそうにないから迷ってるんやけど。さっき透が欲望とかいったやん。でも俺には欲望があまり強くないんだよな。すっごい儲けたいとか無いし、車とか女が欲しいとかも少しは思ったけど結局つまらん気がするしな、「村」の中にあるものでだいたい足りてたんだよ、あくせくしないでいいっていう点では「村」はやっぱいいところなんだよ」
「そう俺も欲ってあんまり無いんだよな」
勢い込んで俊之が頷いた。俺は健一をちらっと見た。健一は首を傾げて考え込んでいる。
「俺って欲望強いんかな」
健一を見ながら俺は呟いた。俺には勉強したいという欲があった。もし普通の家庭で生まれていたならストレートにいい大学に入って、好きに勉強できたという思いがあった。スポーツ選手を見れば俺も昔からスポーツをやっていればよかったと思い、芸能人を見れば俺にだって芝居が出来たかもしれないという思いがつきあがってくる。今俺は大学に行ってやりたいと思っていた勉強をしている。その先の将来はまだ見えてない。俺にとっては今が大事だった。今自分の力で、過去に囚われている自分を断ち切るために、大学で勉強しているという行為そのものが、自分の立っている位置を確かなものにするために一番必要なものだと思う。
その先には未来が待っているはずだ。この社会で何とかしのいでいきたいと思うのだ。例えばそれは一家を持つことであり、満足した仕事を見つけることである。家を建てて、車を買って、それなりに収入があって、社会的な名声があって……。それは欲である。俺が村を出てやっとはっきりしてきた欲である。俊之や健一の話を聞いていると、その欲は些少でつまらない感情にも思えてくる。しかし、欲を持つことが生きるエネルギーではないのだろうか。俺は欲を持つことが、間違っているとは思えない。村にいた頃は、俊之が言うように俺も欲望が薄かったことに思い至った。
「欲が薄いのは村のせいじゃないのか、何かを求めようとする姿勢を押さえつけられていた結果なんじゃないのか」
そう俺は言ってみた。
「でも、今俺たち二十五やん、今の年齢で欲望が薄いのを自覚していて、それでいいと思っているなら、なんも問題ないんちゃう」
俊之は気弱そうな目つきに戻って言った。
「そうだよ、でもお前がなんか目指してるのはそれはそれでいいんだよ、俊之はそれを否定してるんじゃないよ、ただ俊之には、「村」の所有に対する観念がだいたいちょうどいいってことなんだよ」
篤志が俊之を助けるように言った。それから俺を覗き込んで
「お前ちょっと目つきが怖いよ」
と言った。俺は苦笑した。健一を見て
「さっきから何一人で黙ってんだよ」
とわざと怒鳴った。健一は俺の声に反応して両眉を突き上げ、あごを突き出し、ひょっとこのような顔をして俺を見た。それから背中をそっくり返して
「まあ難しいよな、俺はなんでもいいよ」
と言った。俺はちょっと怒りそうになった。何でもいいとはどういうことだ。しかし健一が腕組みをして姿勢を正したので自分を抑えた。
「俺はどっちかって言うと透に近いな、俺も勉強したかったし、なんかこっちの世界でしたいしな。俺はドイツが長かったから、翻訳とか通訳とかやってみたいっていう気持ちがある、それは村では絶対無理やろ。要するにやりたいことをやりたいようにやればいいって話だよ。なるべく人に迷惑かけずに。ただ、」
そこで健一は一旦口を閉じて俺をちらっと見た。
「あんまり「村」に囚われる必要はないと思う。どっちにしてもな。戻るにしても戻らんにしても。俺らってさあ、なんか「村」を特別な場所だって凄く思うじゃん。」
「でも実際普通と違った場所であったことは間違いないぜ」
俺は健一が言わんとしていることがなんとなくわかったので、それを言う前に遮った。話の間に一つクッションを置いて、言う内容を緩和したかったのだ。健一はまあ待てと言うように手を出して俺を停めた。
「確かにそうなんだけど、でも俺らだけが特別じゃないだろ。世間には孤児だっているんだし、オウムの子どもとか最悪だろ。子どもは一概に悪いわけじゃないのに、世間じゃそう思わない、あいつらのがよっぽど大変やで。それと比べると俺らは今選択の自由がある。だからましなんだよ」
「それはわかってるよ」と俺は言った。それはわかっていた。しかし俺にはまだ「村」に関わる懸念があった。そのことが口をついて出た。
「でもな、「村」だっていつかはオウムのように何かやらかすかもしれない。その時俺は仕事先とか結婚する相手に向かって、なんていえばいい?正直言って俺は怯えてるよ」
空気が重くなった。篤志が立ち上がって電灯をつけた。俺たちは一斉に暖色の明りを見つめた。悪い夢から覚めたような気がして、俺はもう一度窓を開けて煙草を吸った。健一の腹が鳴った。続けて俺の腹も大きく鳴った。固まった空気が少し元に戻り、体を動かすのが楽になった。
「俊之なんか食うもんない?」と俺は訊いた。俊之は立ち上がって暗いキッチンにむかった。食器棚を探して「蕎麦ならある」と言った。
「蕎麦か、蕎麦は食ってもすぐ腹減るからなあ」と篤志が言った。多分帰ったら親と一緒に食うだろうなと俺は思った。いつか中目黒の蕎麦屋で食った鴨せいろを思い出した。ひと月カナダに旅行して日本に帰ってきた直後急激に蕎麦が食いたくなって、すぐさまその店に行ったのだ。食っていると本当に鳥肌が立って、俺は勘定をするとき、「ありがとうございます」なんて言ってしまった・・・。そんなことを思い返していると空腹が我慢できそうになくなってきた。時計を見ると五時半。俺は十時に高田馬場から深夜バスで帰る予定で、ちょっと早いが新宿に飯を食いに行くことに話がまとまった。

俺と俊之が前、健一と篤志が後ろになって俺たちは新宿通りを伊勢丹の方へむかって歩いていった。昼間よりは当然冷えているが、手袋が欲しいほどではない。信号待ちの車は一つの信号につき三、四台で済んでいた。普段新宿にこの時間来ないので、これからタクシーが増えて混んでくるのか、それとも年末で人が減り、ここから更に道路が空いていくのかはわからない。中心地より手前の居酒屋や定食屋の暖簾は力なく揺れているように思えた。スコセッシの新作を上映している映画館の前を通り過ぎる。受付のお姉ちゃんはふてくされた顔つきで客が来るのを待ち構えていた。俊之は両手をジャケットの中に突っ込んで、俺の少し手前を歩いていく。背筋が張っているのでジャケットの上からでも痩せているのが際立ってわかった。こいつは女ともうセックスしたのだろうかと俺はなんとなく考えた。「村」に残っているのは俺たちよりもっと若い女か既に結婚した女たちばかりで、積極的に話し掛けられない俊之は、もしかしたら童貞かもしれないと思った。けれども口に出して訊いてみることは憚られた。冗談っぽくしても、雰囲気はきまずくなるだけだろうと思った。
「親には「村」に戻るって言ったのか?」
俺は俊之の後ろから声をかけた。振り向いて俊之は俺を待った。俺が追いつくと
「いや言ってないよ、まだわからんしな」
と俊之は微笑んで言った。後ろから健一の大きな声が聞こえてくる。朝俺に話した女の話を健一は篤志にしていた。
「まあ聞いてやってくれよ、こいつまた女のことで悩んでんだよ」と俺は怒鳴った。
「悩んでねえよ、もう決まってんだよ」
健一は怒鳴り返した。心なしか、ネオンに染められて健一の顔は赤く光って見えた。
俺たちは居酒屋で二時間ばかり飲んで別れた。篤志は一旦俊之の家に行くと言った。飲んでいる最中に頭が痒くなってきて、俺も俊之の家でシャワーを浴びてこようかと考えたが、往復の道のりを考えると面倒になり、そのまま高田馬場に向かうことにした。健一は弟と待ち合わせて、それから埼玉に行くという。二人は一緒に駅に向かった。
東口の階段を下りていく俺の後に健一はついてこなかった。振り向くとここで待ち合わせをしているのだと言った。まだ言いたいことがありそうな顔をしている。健一の頭の奥に、待ち合わせ場所に生えた木が聳え立って、アルタの液晶画面を遮っていた。俺の左手を暗いコートを着たサラリーマンや飲んで帰るカップルが次々に通り過ぎていった。俺は健一の言うのを待った。
「じゃあな」健一は言いたいことを抑えるように手を振った。
「お互いに、まあ頑張ろうぜ」
「良いお年を!」
俺はおどけて言った。健一は笑って応えた。俺たちは別れた。
高田馬場についてもバスの発車までまだ時間があり、俺は漫画喫茶で時間をつぶすことにした。読んでいるうちに寝てしまい、はっと目を覚ますと十分前で慌てて俺はバスに向かった。そのバスは「村」が東京に出ている関係者のために定期的に運行させているもので、俺は「村人」の子どもだから無料で乗ることが出来る。正月だしきっと込んでいると思ったが案の定で、六十人乗りのバスが最終的にはほぼ満席になった。待っている人々の中に顔見知りがちらほら混じっている。一緒のバスに乗ると思うと、幾日か前に電話で言っていた由紀も、子どもを乳母車に乗せて列を作っていた。由紀は中学生の頃の後輩で、今でもたまに連絡を取り合う仲である。俺はベビーカーをバスの荷物入れにしまいこんでやった。彼女の子どもを初めて見た。名前を聞くと詩織だと由紀は言った。
「別れた旦那がつけたの」由紀は軽い調子で言った。由紀より年下のどうしようもない若い旦那の話はたびたび聞いていた。別れて正解だとも思ったし、二十四で子供づれの×一になってどうするんだとも思う。だが軽軽しく口を挟むことは出来ない。その手のことを意見出来るだけの度量は俺にはまだ無い。詩織はまっすぐに起きていた。目をまん丸にあけて俺を見ている。赤ん坊の頭はすぐに壊れそうで、俺はこわごわ頭をさすってやった。自分の顔がにんまりとしているのを感じる。由紀が詩織の手を取って俺に振るように仕向けた。赤ん坊はされるがままに手をだらだらと振りながら、黒いまん丸な目をじっと俺に向けていた。
バスが走り出すと漫画喫茶の眠気が再発してきた。しばらく窓外の夜の東京を眺めていたが、くっきりとしていたネオンの明りはだんだんと輪郭を崩していく。俺はカーテンを閉じて窓に頭を預けた。その時バイブにしていた携帯が震えた。見ると健一からのメールだった。
「女に「村」のこと話したとき、なんか北(朝鮮)の共産主義みたい、と言ってた。今の世界のままでいいとは思ってないけど、生きていく為に私は自分や自分の家族を守って大事にしたい、だからそういう集団主義見たいのはキレイだけどムリだと思うってよ、あと彼女はよく祈る、自分自身に祈るって。やっぱ人生の中で否応なしに培われた生き方考え方は強いよ。俺のほうが全然自己が確立してなくてホント弱さを感じるよ」
「俺にとっては、「村」が家族なんや」
俺はそう瀬川さんに言いたくなった。村を断ち切って生きていけば、人生は少し簡単なのだろう。だが、親を捨てることが正しい道であるとはどうしても俺には思えない。「村」の考え方に同調できずに、十七で俺は飛び出してきた。それは瀬川さんの言う集団主義は無理だと思うに通じる考えだ。つまり親の生き方を俺は否定しているのだ。しかし、だからと言って血の繋がりを反古には出来ない。反古にする人間ではありたくない。俺は親の生き方に嫌悪感を持っているが、自分の信じた道を曲げずに進んでいく姿勢は認めている。父はもしかしたら、今までの生き方が間違いだと知ったとしても、それを捨てて新たに出直すことを怖れているのかもしれないが。俊之の親は、昔いた社会に戻って新しく生きることを選択した。どちらが正しいのか、正しいなんてあるのか、俺は迷っている。皆が考えている。
健一は別れることになりそうだなと俺は思った。
「自分を信じろ、お前がそう言った」俺はメールに書いて送った。瀬川さんの言う、自分自身に祈るというやり方は、ある主義に幻滅した人にとって、きっと残された有効な方法なのだろう。カーテンの裏から後頭部に伝わる窓の冷気が、段々と心地良い温度に変化する。苦しいような懐かしいような、かつて暮らした「村」の風景を頭に思い浮かべてみる。カーブを描いた丸い牛舎の屋根が脳裏に浮かぶ。想像の中の風景を、熱湯を浴びせかけるように打ち消して俺は眠った。


ある理念によって志を一つにした一般的にコミューンと呼ばれる小さな組織が、五十年代の半ばに三重県で興った。教祖として崇められる人物はいなかったが創始者の著した三十ページに満たない青い本があり、人々はその理念に沿って行動した。組織の賛同者に依る熱心な勧誘活動の行き過ぎから一度流血騒ぎが起こり、活動は緩やかなものとなったが消えずに残った。七十年代に入ると学生運動に夢破れた多くの若者が参画するようになり、ささやかであったその組織は息を吹き返した。参画する人々には夫婦者がいて、独り者がいた。独り者は組織の中で配偶者を持ち、やがて多くの子どもたちが生まれた。その組織は、内部の人間に「村」と呼ばれた。村は基本的に自給自足の生活を実践していたが、外部との関わりには当然金が必要である。村で生産の不可能な日用品や嗜好品を手に入れるため、村人は生産物を一般社会に売りに出ることで金を得た。活動の勧誘のためのセミナーを開きその参加費を徴収した。たった一つの小さな共同体に過ぎなかった「村」はじわじわとその運動を拡大していく。三重県の各地域に村が誕生し、やがて日本全国、海外にまで発展していくようになる。
俺は生れ落ちた時から「村」の中にいた。父は学生運動を経て大学院に進み、院の研究室に雇われた母と知り合ったらしい。父がまず「村」のセミナーに参加し、母にセミナーを勧め、母がセミナーを受講したことによって結婚を決めたのだと、以前母から聞いたことがある。「村」に参画する際に父と母が親からどのような扱いを受けたのか、俺は詳しく聞いたことが無い。父方の祖父は、小学生になったばかりの頃に村を訪れた。マンガ本をプレゼントしてもらったことを俺はぼんやりと覚えている。それから十五年ほどたった後に俺は村を出て、居候先となった叔父の家で祖父と再開した。半年が経って祖父は死んだ。俺はひと月して叔父の家を出た。母は今でも祖母と仲が悪い。妹とも仲が悪く、たまに祖母の家に行く折に、妹と会っても言葉を交わすことはないという。父と母は、みんなが仲良く楽しく暮らせる社会を目指しているのだと、自分たちの生き方を俺に示した筈だった。
父は全く怒らない人である。たとえしつけであったとしても、殴られたことはない。その父は俺に対して一度だけ怒鳴った。村から出たいと言ってふてくされていた十七の俺に対して
「何でわからないんだ!」
と怒鳴った。父はその頃既に俺より背丈が低かった。中学生の頃に腕相撲をしたとき、既に俺より弱かった。父は怒鳴り、涙を見せた。村の集合住宅の、五階の六畳間で、俺は蛍光灯の上に煙草をかくしていた。父はやがて異臭に気付いた。
「お前煙草吸ってんのか」と父は言い、俺は頷いた。父は黙って俺を見やり、それから二週間して俺は村を出た。父があの時叱ったのか、ただ始めて素の感情を子どもにぶつけたのか、俺にはわからない。ただその時の光景だけが、長く俺の中に残っている。
俺の成長は「村」の成長に比例していた。第一次オイルショック以降の日本人の自然食品・安全食品志向に、村は無農薬・有機栽培の生産物を謳って応えた。少年の非行が問題視された時勢に、村の子どもたちは自然の中で生き生きと育っている様子を見せ付けた。村は子どものために、一週間の村の暮らしの体験学習を企画して、大人たちの関心を集めた。大挙して子どもたちが村に押し寄せた。八十年代の末には村の中に独自の学園を作ろうという機運が高まる。それまでも子どもと大人は別々に暮らしていたのだが、文部省に認可されていないその学園には、村の外からも子どもたちを積極的に受け入れた。親は子どもの養育費として金を送る。村の財産は鼠算的に増えていった。九二年の段階で、村の買い占めた国内の土地は、新宿区の面積をゆうに超える量にまで拡大していたのだ。
俺は村の中等部(中学生の学園)の第一期生だった。義務教育であったので、勉強のために地域の学校に通い、帰ってきてからは村の中で学園生として生活した。当時の俺には村が全てだった。自分が村から出るなんて思いもよらなかったし、この社会は永遠のものだと信じきっていた。村が俺の家族だったのだ。身の回りで係に殴られる奴がいてその光景には怯えたし、中学生で朝から農作業をこなし、学校から帰ってきて再び農作業をすることに不満を感じたりもしたが、それは俺にとって些細なことで、問題にするべき事柄ではなかった。今にして思うのは、俺と村は家族であったのだから、きっとその時の俺の視点は間違っていない。一人で食っていけない子どもは、どこの世界であれその場所の掟を受け入れるしかない。それが子どもなのだ。
だが、やがて大人になろうともがく年齢になると、俺の目は物事を違った尺度で捉え出した。高校生の年になり、係に隠れてラジオで音楽を聴いたり、本を読んだり、農作業に全く行こうとしない奴等に嫌悪感しか持っていなかった俺に、ある日突然村の社会が色あせて見えた。俺が中学生の頃もっとも親しかった同じ年の奴が学園から去っていったのだ。前置きは無かった。農作業から帰って周りの連中からあいつがいなくなったと聞かされた。そのうち彼が去っていった理由が、人の間を巡って俺にも伝わった。彼の父親は長く村で活動してきた人だったが、働きすぎて過労死してしまったとのことだった。母親はそれで村に幻滅して、子ども三人を引き取り村を出ることにしたのだという。俺はずっと彼と友達で、一生を暮らしていくのだと思っていた。しかし彼は俺の目の前から消えた。期待とか希望とか胸の中で膨らんでいた風船のようなものが、ぱちんと割れてあとに虚無が残った。曇りだらけの目は乱暴にウエスで磨かれ、ところどころ汚れを残しながらも鮮明になった。俺は考えた。何で音楽を聴いちゃあいけないんだ?何で本を読んじゃあいけないんだ?その感情の方が自然なのだ、みんなが仲良く暮らしたい社会なら、その程度の物事でさえ駄目だと子どもに強制する方がおかしいのだと思った。俺は係に、学園を辞めたいと言った。親に対して、大学に行って勉強したいと言った。その時から俺は問題児になった。学園は何とか辞められたが、それから半年間三重県南部の温暖な地域の村で、果樹の世話をすることになった。親はそこで考えを改めることを期待したのだろうが、自我に目覚めた俺はもう突っ走るだけだった。埒があかないから、大阪にいる先に村を出た先輩を頼って脱走することになる。親が捜して一旦連れ戻しに来る。俺は親元に戻り、六畳一間の部屋で一ヶ月押し問答を繰り返し、ようやく叔父の家に居候できることになったのだ。それが十七の春だった。
俺が村を捨てた時期と比例して、村自体も衰退し始める。九十四年には、村のシステムを考え直すネットワークが一般社会に発足した。村の実態はマスコミによって暴露されだした。農薬付けの食品であることが明かされ、児童に対する虐待が問題視された。村の生産物は買われなくなり、子どもを引き取る親が増えた。やがて、村に失望して出て行った元村人の間から、参画した際に提供した財産の変換をめぐる訴訟が起こされた。労働に対する正規の報酬をよこせと訴える者もいた。裁判所は村に賃金の支払いを命じ、財産の一部返還の判断を下した。村は方針の転換を迫られた。それまでの、「村」という形態を拡大していこうとする考え方から、「村」の理念を一人一人が持つことを第一義とする考え方に変わっっていった。村の理念を内に携えた村人の多くが村を離れ、村に失望した村人も多く村を去っていった。しかし組織には、最後まで残るものが必要である。老人と子どもの世話をする者、蓄えられた財産の整理をする者がいなければならない。やがて村が崩壊するのならばそれを見取る者として、細々と存続していくのならそれを維持していく者として、俺の親は村に留まることを選択したのだと思う。
村を飛び出してからしばらくの間、俺は親から電話がかかってきても一言、二言話すだけですぐに電話を切っていた。結局のところ俺たちが交わる点は何もないのだと俺は意固地に考えていた。親はその親の反対を押し切って村に参画したはずだ、ならば今度は子どもが親を裏切って、違う世界で暮らしても非難は出来ないとわかっているだろう、俺を引き込むのはよしてくれと俺は思っていた。しかし二十歳を過ぎて、周りの連中で親になる奴を目にするようになってから、少しずつ親に対する見方をあらためていった。考え方に賛同できないのだとしても、子どもに幸せになって欲しいと願う親の心情は理解出来る気がした。その気持ちがわからなければ、今度は自分が親にはなれないのだ。村が勢いを失っていく過程を、俺は外の社会の新聞やTVで複雑な思いを持って受け止めた。親や友人に、犯罪者になって欲しくなかった。出来ることなら、世間にはそっとしてあげて欲しかった。これから外の社会に出て、後ろ指を指されながら、肩身の狭い思いをしながら老後を暮らしていくよりも、村の中でそっと一生を終えて欲しいと思った。自分のこれからについても考えた。マスコミは糾弾するべき団体として、取材対象として「村」を取り上げればそれでいい。しかしそこにゆかりのある人々で、外の社会にすんでいる人々は、村との関わりを今後どうするべきなのかを考える必要に迫られる。過去を捨てるなり隠すなりして離れられる人々はそれでいい。しかし、そこで育ち、親や友人をそこに残して、簡単にはしがらみを断ち切れない多くの元子どもたちは、外の社会で生きることと、心に裏切りを持つことの間で揺れ動く。自分のアイデンティティーはどこに根ざしているのか、深い心の沼の縁で途方にくれている。

バスは五時に「村」のガソリンスタンドに到着した。社外に出ると、冷気が荒々しく顔をぬぐって肌を乾かした。由紀はここから一時間離れた別の村で正月を過ごすのだという。
「帰りもまた一緒かな」
荷物入れからベビーカーを出してやると、由紀が言った。車中で詩織は時折むずかっていたが、母親の腕の中で頬を赤くして眠り込んでいた。
「そうやな、またな」
俺は詩織のほっぺたを右手の中指でそっと突いた。小さな冷たいマシュマロのようなほっぺたで、俺の指は薄く弾んだ。顔を上げると中古のカローラのドアを開けている由紀によく似た女性と目が合い、彼女は俺に軽く会釈した。手を振って俺は由紀と別れ、村の受付に通じる坂道を登っていった。
早朝にバスでやってくる俺のような客のために、村はこの時間にはもう窓口を開けていて、客は來村の事情をそこで記さなければならない。住所・電話番号・誰を訪ねてきたのか・訪問理由などを書く欄がある。かつては現住所を正確に書くことを躊躇したものだが、今はそんなことはない。俺は訪問理由の欄でちょっと考えて、「帰省」と記した。それからしばらく外来者用のロビーで待っているうちに母親が迎えに来た。両親の寝起きしている宿舎は同じ村内だが一キロあまり離れた場所にあって、俺は母親と運転を交代してそこにむかった。親と会うのは八ヶ月ぶりのことで、母は少し太ったようだった。「元気?」だとか「ちゃんと食べてる?」だとか母はいつも同じことを初めに訊く。そして俺が同じように元気だとか一応ちゃんと食ってるとか言うと俺の様子を見渡して太ったとか痩せたとか思ったことを口に出し、それから父のことに触れた。いっとき父は座るにしろ立っているにしろ同じ姿勢を長時間保つのが苦痛だったのだが、春から整骨医を昔やっていた村人に診てもらうようになって、今はだいぶ楽になったのだと言った。話しているうちに宿舎に着いた。ドアを開けると牛糞が匂って、俺は鼻を二度すすった。宿舎は高台にあり、その下に牛舎の青い屋根が十棟ほど連なっている。宿舎の横は果樹園になっていて、五年目ほどの葡萄が静かに棚に枝を伸ばしていた。父が一人でこの葡萄を見ているのだと母が言った。父は自分の仕事用の部屋でパジャマのままパソコンにむかっていた。俺が戸を開けると、「おう」と気さくに手をあげ
「まあゆっくりしろ」
と言った。俺はいつもの癖でまず父の頭を観察した。父は四十代の半ばから半分は既に白髪になっていたのだが、いつの間にか全てが白髪に変わり、それからいつの間にかその白髪も薄くなりだして、今はなんとか表面をカバーできる分量にとどまっている。見たところ前回から更に後退している様子ではなかった。母がどうすると訊くので俺は少し寝ると応えた。
「あんまり煙草吸わないでよ、ここ小さい子もいるんだから」
母が小さな声で注意した。父は笑って何も言わなかった。俺のために用意した部屋に連れて行った母は、ちょっと待ってねと言って部屋を出ると、ハリーポッターの新作をもってすぐに戻ってきた。
「ありがとう、この正月の間に読んどくよ」と俺は言った。そこは三階でベランダからは遠くまでが見渡せた。右手の奥に俺が六年間通った小学校の白い屋根が見えていた。すぐ目の下の牛舎の隣にはかつて暮らした学園の広いグラウンドがあり、その奥に灰色の学園生のための宿舎があった。俺は牛の匂いを嗅ぎながら、かつて二年余り暮らした宿舎を眺めて煙草を吸い、そして眠った。
その後帰るまでの五日間、俺たちは家族として過ごした。小学生の頃は正月に子どもたちが楽団となって村の中を行進したり、村人が勢揃いのセレモニーがあったりしたものだが、今は根本的に村人の数も減っていて静かなものだった。ささやかなおせち料理が共同の食卓に並び、こじんまりとしたお茶会が催されたようだが、俺は村の催しには参加せずに、ほとんど親が住んでいる宿舎で過ごした。一度俺と同じように親を訪ねてきた連中と連れ立って飲みに出かけ、明けた三日には一人で京都の銀閣を見物に行った。すれ違うものの無い「哲学の道」を、霙交じりの雨に打たれながら歩いていくのはなかなかのものだった。冷たさと寂しさが逆に気分をなごませた。他の日は、母に借りた本を時間を気にせずに布団の中に寝そべったまま読みふけったり、親子で一緒にテレビゲームで遊んだりした。子どもの頃村にはほとんどテレビゲームがなかった。二週間に一度の土曜日の夜に子どもたちは親と会うことが許されていたのだが、俺はその日に幼馴染みの部屋でゲームをしていた。父が呼びに来て、父はしばらく一緒にゲームをして、「早く来いよ」と言って先に帰った。その後母がやってきて俺は頬を引っぱたかれた。その日は部屋に帰ってから俺は母親と話さずにすぐに布団の中に逃げてそのまま眠り込み、次の日の朝子どもだけの世界に帰っていった。そんなことを思い出して母に言うと、母は苦笑いして俺を軽く叩いた。
「あの時はあれでいいと思ったのよ」
そうやったんかな、と俺は軽く応えた。
母は正月の間もこまごまとした雑用を抱えていたので、何度か俺は母と一緒に村の中を車で運転して回った。その道中で俺が中学生の時に世話係をしていた桧山を見かけた。桧山は作業用の青いヤッケを着て、のっしのっしと歩いていた。
「桧山さんは最近全然仕事しないの」
車の中で聞こえないのに、母は声をひそめて言った。なんで、と俺は訊いた。
「昔使っていた生活舎に家族だけで住んでいて、時々窓口まで来て『金出せっ』て脅すんだって。それでいろんなとこで村の悪口を言ってるみたい、お父さんもだいぶ言われたらしいよ」
「でもなんでまだ村に住んでいるんだろう?だったら出ていけばいいじゃん」俺は不思議に思って訊いた。
「自分が村を仕切りたいんだと思うよ、自分なりには村のことを考えて、これからよくしたいんだって考えてるのかもしれない。でも誰も聞いてない、そりゃそうよね、やることやってないんだから」
中学の頃桧山は時折癇癪を起こして俺たちを怒鳴りつけた。自分たちが責められるようなことをしたのなら桧山が怒るのもわかるが、こいつは気分で怒ってるだけなんじゃないのかと思うこともあった。しかし俺には桧山に対して特別な思い出があった。冬に子どもたちをスケートに連れて行ってくれたのだ。俺たちは夜通し滑っていた。日をまたいだ次の日が俺の誕生日で、みんなは歓声を上げて俺を祝福してくれた。スケート場から帰ると、桧山は急いでどこかに行った。その日の午後俺たちの前に顔を現した桧山の顔は喜びでくしゃくしゃになっていた。
「子どもが生まれた」と桧山は叫んだ。だから桧山の第一子の女の子は俺と同じ誕生日だ。その子は今十歳になっているはずだ。
「奥さんはどうしてんの?」
綺麗だなあと思っていた桧山の奥さんを思い出して俺は母に訊いた。
「奥さんはちゃんと職場に行ってるよ、みんな当り障りなく接してるみたい。しょうがないよね、奥さんは悪くないんだけど」
桧山の姿はとっくに背後に遠ざかっている。みんな人間なんやな、と俺は思った。口に出したり、はっきりと心に記したりはしていなかったが、大人は完璧なんだと俺は信じていたのだと思う。だが俺が大人の年齢になっても、当時漠然と決め付けていた完璧な姿に俺は遠く及ばない。完璧だと思っていた当時からの大人たちも、考え方を翻したり、子どものように体制に反抗してみたりして、俺と同じように迷っている。俺は大人も完璧じゃないんだと知った。しかし、子どもの頃押さえつけられていた思いは、大人のその態度を、俺たちに対する裏切りではないかとどこかで許せない。
帰る前日の夜、俺は酒を飲みながら父と話した。
「大学出たらどこかに就職する気なのか」と父は訊いた。
「全然決めてないよ、就職活動も全然やってない、ただサラリーマンになって、定時に出勤して定時に帰宅する生活は無理やと思う」
俺は正直に言った。父はパソコンの置いてあるデスクの側で、立ちながらビールを飲んでいた。椅子に腰掛けるよりは、立っているか寝転がっている方がまだましなのだ。父の顔はうっすらと赤かった。穏やかな声で父は言った。
「じゃあどうするつもりなんだ」
「大学院に行けたらなって考えもちょっとある。Vシネやってたときの仲間が戻ってこないかって誘ってくれてて、そっちにいくかもしれない。どっちにしろ金を掴む方法をまず考えないとっては思ってるよ。大学院行くことにしても、今みたいに貯金と奨学金ではもういけないからね」
「そうか」と父は頷いた。それから目を真っ直ぐに俺に向けた。
「お前は何のために生きたいんだ?」
自分が何故生きているのか、本当にやりたいことはなんなのか、それは父と会うたびに繰り返して訊かれる質問だった。その度に俺はその時の正直な答えを示してきた。酒の回りだした頭で俺は考えた。
「自分のために、生きているんやと思うよ、少なくとも自分が幸せでありたいと思うから、そうなるために出来ること、したいことを常に考えているつもりやけど。それがまだ、この歳で見つかってないって言うのは苦しいし、恥ずかしいことかもしれないけど」
「恥ずかしいことはないよ」
父がまだ笑みをたたえながら口を挟んだ。頷いて俺は続けた。
「生きるために金を得ることを考えたら、俺は文系やから、大学院行っても就職は厳しいかもしれない。ただ勉強は好きやから、うまくいって教授になれたらなあなんて思ったりもする。でも結局みんな漠然とした考えなんやね。強くこれを勉強したいって思えるものも無い。それを強いて見つけるのが本気で勉強する覚悟なんかもしれないけど、それも何だかなあって思う。それで楽しいんかって。Vシネに戻るってのは、なんか作る仕事したいっていう気持ちも持ってるからなんやけど。中途半端やね。まだ考えてるよ」
父は目を細めて頷きながら聞いていた。
「自分の幸せってのは、自分ひとりじゃ掴めないよな。それに何が幸せかってのもあるよな」と父は言った。
「それはわかってるよ」すぐに俺は反論した。
「でも俺は大きいことを言いたくはないんだ。みんなが幸せになったら、自分も幸せになるってのは確かにそうかもしれないけど、俺はそんな悠長なことはどうでもよくて、まず自分が何かを成し遂げたいんだ。それが俺の今幸せって思える形やから」
「一回、セミナーに来たらいい」
父はそう言った。
「いや、そういうのはよしてくれ」
俺はすぐに断った。村には一生に一度しか受けられないセミナーと、何度でも受けられる上級のセミナーがあって、父は上級の方を指して言っている。一般社会の人間がそれに参加すれば、「村」への参画を迫られるとのことだった。俺は今、村に戻るつもりは毛頭無いが、一般社会から隔離されたセミナーで過ごすうちに、村の考え方を頭に刷り込まれて自分の意識が改革されてしまう、言い換えれば「洗脳」ということになってしまう危険性はあると思った。
「参画しろって言ってるわけじゃないよ」と父は言った。
「本当の生き方を考えるきっかけになると思うから言ってるんだ」
「生き方なんて始終考えてるよ。もううんざりするぐらいに」
俺は言い返した。
「それは一人で考えてるんだろ。一人じゃなくて衆智を寄せて考えた方が、確かな道が見えてくるんじゃないのか」
正論、といえるかもしれない。俺は黙った。しかしその衆智を導く先導者はいて、それは村の人間なのだ。衆智を寄せて創られたはずの村は、しかし今揺れ動いている。その進む道は険しく細く、行き止まりにつながっているのではないのか、桧山のざまはなんなんだ。かつて子どもに怒鳴り散らして、今は自分が子どもになって、人間と基本的にするべき仕事をこなさずに当り散らすのが衆智の結果なのか。俺はいらついて言った。
「でも、この辺の大人たちよりは俺の方がよっぽど生き方を考えてるぜ」
「この辺ってのは誰のことだ」
父の声音がふいに変わった。父はグラスをキーボードの横に置いて厳しく俺を見た。俺は母から訊いた桧山のことを言った。
「なんも働かんで、ただ金よこせって言ってるだけみたいやないか」
「それは違うぞ」
そう言うと父は唇をぐっと結んだ。俺は、親父が怒るのは二度目だなと脳の隅の方で思いながら、父が言葉を続けるのを待った。
「あの人たちは、十年二十年と「村」に全財産を提供して、これでいいのかと思いながらずっとやってきて、その結果今ああいう行動に出ているんや、お前が言うほど単純なことじゃない」
父は怒りを押し殺した様子で言った。俺の顔は熱くなった。「二十年」という言葉が心に突き刺さり、俺は自分が言いすぎたことを悟った。
「うん、そやね」
自分の意見をすぐに否定するのは恥ずかしい。しかし俺は父に自分の間違いを認めて頷いた。父は口調を変えて言った。
「お前が、考えてないって言ってるわけじゃないよ、でも、自分だけが真剣に考えているなんて思い上がったらあかん」
俺は言葉を出さずに頷いてビールを飲んだ。二人して黙って飲み続けた。
「俺はやっぱ、セミナーを受ける気は無いよ」
しばらくして父の目を下から見つめながら俺は言った。
「俺だけじゃなくて、健一も篤志も、俺たちはガキの頃からこの村にいて、そして村を出て行った。俺たちが出るのを止めようとした大人たちも、やがて自分から村を出て行くようになった。俺たちは村を否定したわけだ。でもどっかで、村にいる大人を認めていた。だから大人がかつて言ったことと違うことをしているのを知った時、不信感を持った。自分らだって勝手だと思うけど、俺らはもっと戸惑った。考え方が安定していない大人に振り回されて、俺たちは今苦しんで生きているんだと思ってしまうんだ。そう考えると少し心が救われるからね。だから俺は、親父がセミナーを勧めてもいこうとは思えないんだ。俺らのことは俺らで決めようって思う。
でも、俺らは考えてるよ、何とか人生に対して肯定的に生きようとしているよ」
父は唇を和らげ、頷きながら聞いていた。顔に微笑みが戻っていた。仕事を終えた母がため息をつきながら唐突に入ってきておっと言った。
「何、お父さんとお話してたの?」
「いや、もう終わったんだ」
「そう、これからどうすんの」
「まあぼちぼちやるよ」
母が物問いたげな目を父に向けると、父は笑って母に返した。俺は二人にことわって部屋を出て、暗闇の中で「村」での最後の煙草を吸った。鈴鹿颪の吹き荒れる音が死んだ獣の遠吠えのように、宿舎の向こう側から聞こえていた。俺はその夜の夜行バスで東京に帰った。父と母はガソリンスタンドにまで見送りに来て、俺がバスに乗り込むと手を振った。やがてバスは走り出し、両親の姿はすぐに見えなくなった。