terça-feira, 15 de setembro de 2009

a [ coisa ] e a [ coisa vista ]

está agindo através do reconhecimento de dentro da mente
não está reagindo somente a coisa real (fato)
vai captando com a mente a coisa real
e processa com as informações do passado
as coisa obtidas através os órgãos auditivos e visuais

a coisa vista , a coisa ouvida
e
os fatos são [ coisa ]s diferentes

interessar pelo fato
mas
mais do que isso
estar acordado, ter a ciência na sua própria percepção

segunda-feira, 7 de setembro de 2009

A visão acerca do ser humano que é a base da visão acerca da sociedade humana

.
01. Sobre o pensamento/a idéia
02. Sobre o desejo, a vontade, o sentimento, etc
03. Sobre a educação / a disciplina e a vontade
04. "fazer com que o outro faça", "impedir com que o outro faça"
05. A sociedade e o ser humano
( a situação atual, parado e imobilizado pela visão acerca do ser humano - visão acerca da sociedade humana)
06. A sociedade onde é possível viver pela livre vontade própria - livre desejo próprio.


Visão acerca da sociedade é a maneira de ver que tem em relação a sociedade que se diz:
"assim é a sociedade humana"
Visão acerca do ser humano é a maneira de ver que tem em relação ao ser humano que se diz: assim é o ser humano"

A maioria não tem a percepção de si (consciência de si) , de que possui uma clara "visão acerca do ser humano" - "visão acerca da sociedade"

"A visão acerca do ser humano" e "a visão a cerca da sociedade" estão formadas dentro da cabeça desta pessoa, através das coisas que veio recebendo do meio ambiente ao seu redor de onde nasceu e cresceu, veio vivendo no meio das pessoas, no meio desta sociedade desde quando nasceu.

Se não há um querer observar e examinar "a visão acerca do ser humano", "a visão acerca da sociedade humana" que está formada dentro de si, não há como trazer a consciência.

1. sobre o pensamento - pensamento que se fixa e pensamento que não se fixa.

cérebro de um animal ... capacidade de memória.... capacidade de aprendizagem
se continuar tendo a experiência de ter a refeição junto com o som do sino
somente com o som do sino começa salivar e produzir suco gástrico

fiz/fez ○○ -- ficou △△ ..... memória das experiências
fazendo ○○ -- ficou △△ ..... aprendizagem
fazendo ○○ -- ficará △△ ..... pensamento, idéias, discernimento, ação

apertou o botão, acendeu a luz ..... memória das experiências
apertando o botão, acendeu a luz ..... aprendizagem
apertando o botão, acenderá a luz..... pensamento, idéias, discernimento, ação

abrindo a torneira, sairá a agua
lavando, ficará limpa
tomando o remedio, ficará sarado
trabalhando, ganhará dinheiro
pagando dinheiro, a encomenda chegará
postando no correio, chegará ao destino
no sinal vermelho, deverá parar
se prejudicar o outro, pedirá desculpas


[ o pensamento que se fixa ]
é obvio que faça (seja) ・・・
é estranho não fazer (ser) ・・・
tem que fazer (ser)・・・
talvez tenha uma [idéia fixa] de que, se eliminar idéias desse tipo, a sociedade vai virar bagunça...






「固定する思考」の中身
○○したら△△になった、と体験を学習し、それを○○したから△△になったと捉えていく

スイッチを押したら、電灯がついた ⇒ スイッチを押したから、電灯がついた
蛇口をひねったら、水が出た ⇒ 蛇口をひねったから、水が出た
洗ったら、キレイになった ⇒ 洗ったから、キレイになった
薬を飲んだら、治った ⇒ 薬を飲んだから、治った
働いたら、お金をもらえた ⇒ 働いたから、お金をもらえた
お金を払ったら、商品が届いた ⇒ お金を払ったから、商品が届いた
郵便を出したら、相手に届いた ⇒ 郵便を出したから、相手に届いた
赤信号になったら、止まった ⇒ 赤信号になったから、止まった
迷惑をかけたら、謝った ⇒ 迷惑をかけたから、謝った
自動販売機の例
「お金を入れてボタンを押したから、商品が出てきた」と言えるだろうか。
体験を記憶し学習し、思考する際に、因果関係を付ける。
「A」という事と、「B」という事があって、それを「AだからBになった」と、捉えてしまうのが 「固定する思考」だと思う。
「B」になるには多数の要素がある。「A」だけではない筈。
体験したことに 「○○だから△△だ」と、「因果関係を付けて事実だとする思考」 が 「固定する思考」のベースになっていると思う。

日常生活の中の固定する思考
「拝んだら病気が治った」⇒「拝んだから病気が治った」
これは何か特殊な宗教の信仰ように思うかもしれないが、
「薬を飲んだら病気が治った」⇒「薬を飲んだから病気が治った」 
「燃料が無くなったら火が消えた」⇒「燃料が無くなったから火が消えた」
これも似たような思考ではないだろうか。

固定する思考で営まれている社会
「罰則を設けたら守るようになった」⇒「罰則を設けたから守るようになった」
「罰則を無くしたら守らなくなった」⇒「罰則を無くしたから守らなくなった」
「契約したらその通り実行する」⇒「契約したのだから実行するのは当然だ」
「職場の一員なったらそこで働く」⇒「職場の一員になったのだから働くのは当然だ」
「お金を払ったら品物が届く」⇒「お金を払ったのだから品物が届くのは当然だ」
「・・・するのは当然だ」という権利・義務・責任などを無くしたら、人間社会は成り立たないと「固定する思考」

固定のない思考
「AをしたらBになった」という体験・記憶・学習から、「AをしたらBになる」と思考するが、そこに固定や思い込みのない思考
「AをしたからBになった」のかな・・・?
「AとBの間にどういう関係があるのだろう」
「なぜBになるのだろう」
「Aの実際、Bの実際は、どうなっているのだろう」
等々、知らないこと、分からないことが、たくさんある状態。

「罰則を設けたら守るようになった」
「拝んだら病気が治った」
「よく働いて疲れた」
「好きなことをやって満足した」
「負けて悔しかった」
「侮辱されて腹が立った」
「相手が喜んで嬉しかった」
「みんなでやって楽しかった」
なぜそうなるのか、どういう関係があるのか、知らない、分からないことが多いのではないだろうか。
「固定のない思考」は、「知らない・分からない」というところからの思考であり、どこまで調べても、「知らない・分からない」がある思考だと思う。

2.欲求 意志 感情 などについて
「本能的欲求」と「観念的欲求」がある
周囲社会から受けたものによって形成された観念的欲求

意志や感情についても、自分の中から湧いてくる自然なものと思い易いが、育つ過程で身についた観念の影響が大きい。
欲求が満たされない時、不平・不満・残念・くやしい・悲しい等の感情や、他を恨む感情などは、自然なものと言えないと思う。

マイホームを持ちたい、マイカーが欲しい、良い製品を作りたい、いい大学に入りたい、お金持ちになりたい、歌手になりたい、サッカーをやりたい、試合に勝 ちたい、旅行に行きたい、ラーメンを食べたい・・・などの欲求や、どうしてもやりたい、欲しくてたまらない、と強く現われる欲求は、どうだろう。
死にたい、人を殺したい、こういう欲求に対しては「不自然だ、異常だ、間違っている」とされるだろうが、では、先にあげた数々の欲求は、自然だ、正常だ、と言えるだろうか。
戦争へ行って、敵国の人を多く倒したい、という欲求がほめられる時代や社会もあるだろう。
自分の欲求を満たすことが、他の人の欲求を妨げることもある。
自分の意志を通すことが、他の人の意志を妨げることもある。
自分が嬉しいと感じることが、他の人には悲しいこともある。
欲求が満たされ、意志通りになり、喜びを感じても、「良かった」とは必ずしもいえないだろう。
独占欲・支配欲・権力欲・所有欲などを人間の本能のように捉えて、「人間には、そういう欲求や感情があるものだ」と固定した人間観に陥らないようにしたい。


3.教育やしつけ と 意志
サーカスの動物・・・観客を楽しませようという意志はないだろう。
介助犬・・・不自由な人を手助けしようという意志はないだろう。
警察犬・・・犯人を探し出そうとする意志はないだろう。
サーカスや介助や警察は人間の意志によるもので、調教する人間との関係において、体験記憶学習を繰り返して、行動を身に着けているのではないか。
飼い犬がする「お手」や「おすわり」も、それがしたい訳ではないだろう。飼い主との関係において、快適に生きていく方法を獲得していくのではないか。
「こうしたらこうなる」「こういう場合はこうする」等、学習的に身に着けているのだろう。

人間の場合
「しなければならないこと」はする、「してはいけないこと」はしない、この場合の意志とは何を指しているのだろう。
喜ばれることをやる、役に立つことをやる、認められることをやる、評価されることをやる。
人から強制されてではなく、自分から積極的にそうしようとして、やっている場合も、その意志の中身はどうだろう。

「敬語を使うべき時」は敬語を使う(この時の意志は?)
「一時停止すべき所」は一時停止する(この時の意志は?)
指示された通りにやりたい(この時の意志は?)
お金を稼ぎたい(この時の意志は?)
約束したことは守りたい(この時の意志は?)
みんなで決めたルールを守りたい(この時の意志は?)
自分の意志よりも、自分の外からの指示やルールに沿うことが優先で、それをやろうとする意志ではないのか。
「アメ」をもらえるようなことをやろう、「ムチ」で打たれるようなことはやらないでおこう、とする「意志」であり、「アメ」か「ムチ」かの基準は、自分の外にあるものだと思う。
「自分の意志のままに行動してはいけない」と、教育やしつけによって身に着けてきたのではないだろうか。

4.やらせる やめさせる
「やらせる」「やめさせる」とは、自らを動かす機能を具えている個々に対して、他からの力や作用でその機能を制御・拘束すること

AがBに「やらせる」という場合、Aの意志でBが行動する、と捉えることがあるが、Aの意志でBが行動する、ことはないと思う。
BはBの意志で行動するのだろう。ここでBの意志とはどういうものだろう。

上司が部下に命令してやらせる
先生が生徒にやめさせる
親が子にやらせる

野生の動物や人間でも赤ちゃん等は、やらせたりやめさせたりできない。
調教した動物、分別を教えた人間は、やらせたりやめさせたりできる。
これはどういうことだろうか。

「やらせる」「やめさせる」というのは一方だけでは成立しない。
「させられる」「やめさせられる」側がいることによって成立する。命令する人がいても、命令される人がいなければ、命令は成立しない。
「やらせる」「やめさせる」「命令」が成立すような共通観念(思考回路)が両者の頭の中に形成されているのだろう。
その思考回路を使ってリモートコントロールのような制御・拘束ができるのだろう。

野生動物や赤ちゃんは自分の思いのままにしか行動できない。人間が決めた通り、命令された通りには行動しない。
調教された動物や分別を覚えた人間は、自分の思わないことにも合わせて行動できる。人間が決めた通り、命令された通りに行動しようとする。

人の指示通りする動物を賢いと見る。
言われた通りする子どもを良い子と見る。
規律通りに行動する人を偉いと見る。
このような人間観で営まれている今の社会
元来、そのものの意志で行動するようにできている動物(人間)が、なぜ外からの指示やルールで行動するのを良いとしているのだろう。
「やらせたり」「やめさせたり」が当り前になっている今の人間界。それが高い知能の証といえるだろうか。

5.社会と人間  (現状の社会観・人間観に留まって停滞している実情)

人の実状
社会をそのままにして、その中で、より良く生きようとしている。
まじめによく働くのが良い
約束やルールを守るのが良い
財産が多くあるのが良い
信頼され信用があるのが良い
こういうものに価値をおく社会(別の社会では何の価値もない)
人間にとって何が大切で、何が幸福かを調べないで、今の社会の価値観を大事にしている。それでより良く生きられると思い易く、知らず知らずの内に、今の社会用の人間になっていく。
傾いた壁や床で壊れそうな家を使いこなして、満足して暮らせる人になろうとしているような・・・。

社会の実状
人間観をそのままにして、社会や組織を良くしようとしている。
道徳や常識が身につくよう教育する
約束やルールを守るよう罰則を設ける
社会や組織を乱す人が出ないよう取り締まる
悪いことをする人は罰して、良いことをする人を誉める
盗られたり侵されたりしないよう囲いを厳重にする
安心・満足するよう保険・貯蓄・レジャー・消費経済を活発にする
人間そのものよりも、社会や組織がうまくいくことを優先する
人間にとって「どのような社会が快適か」を調べないで、過去の歴史や経験から「人間とはこういうものだ」として、そうした人間用の社会にしている。
目隠しをした人のままで、はみ出さないように、ぶつかり合わないように、教育や取締りに力を入れているような・・・。

社会と人間の現状
現在の人間観から見た人間しか知らない、社会観から見た社会しか知らないという実情では、人間や社会を考えようとしても、その域を出ないだろう。
先ず、現状の人間観、社会観を自覚して、それに捉われない新しい社会や人間を考察してみたい。

6.自由欲求・自由意志で生きられる社会
「人間とはこういうもの」という人間観が、天地創造説や天動説のように幾世紀も信じられて受け継がれている。
「人間本来の姿とは、どのようなものだろう」との究明が浅く、解明が遅れているため、歪められた人間を人間そのものと思い込み、人間そのものを知ろうとし ないで、収集のつかない人間界に人間が手を焼いている。今の世は、悪事や争いが頻発しており、人類はその抑制に莫大なエネルギーを費やしている。自然界の 他の動植物には、このような苦労はないだろう。
自由を否定する人はいないと思うが、「そんなことを認めたら社会が成り立たない」と、実は自由を否定しているのではないだろうか。社会の規範や秩序を動かせないものとして、それに捉われた欲求や意志は、人間の本来のものではないと思う。

人間とは どういうものか の解明・・・・・・人間観が変わる
立ち入ることのできない心の世界がある
妨げることのできない意志がある
「やらせる」「やめさせる」「他を侵す」必要がなくなる

社会とは どういうものか の解明・・・・・・社会観が変わる
人の上にも下にもならない、人と人の暮らしや営み
人を縛らない、人に押し付けない、人の意志を妨げない社会
欲求 意志 感情を抑える必要がない、人優先・人主導の社会

「人をベースにした社会」のテストエリア(試験地域)として
アズワンカンパニー
研鑽コミュニティ など・・・